この連載では、30年以上の会員システム設計・運用経験をもとに、AI時代に求められる新しい会員システムの設計思想を探究しています。一つひとつの「当たり前」を問い直しながら、未来の会員システムを読者の皆さまと一緒に考えていきます。
前回は、「一人につきメールアドレスは一つ」という前提が、現実と合わなくなり始めていることを考えました。
メールアドレスそのものが古くなったのではありません。変わったのは、人とメールアドレスとの関係です。
メールアドレスが登録されていれば、本当にその人とつながっていると言えるのでしょうか。
会員システムを運営していると、この問い合わせは珍しくありません。以前は、メールアドレスの入力ミスや、ユーザー側の受信設定が原因であることがほとんどでした。しかし、最近は事情が大きく変わってきています。
- 仕事用メールを個人用のGmailへ自動転送している
- 会社を退職して、そのメールアドレス自体が使えなくなった
- 送信者認証(
SPF/DKIM/DMARC)の強化によって、転送メールが届かなくなった
特に2024年以降、GoogleやYahoo!による送信者ガイドラインの強化により、メールの認証や転送時の判定は世界的に厳しくなりました。システム上では、メールアドレスは正しく登録されています。しかし、そのメールアドレスでは、もう本人につながらない。このようなケースが、確実に増えています。
私は前回の記事で、「一人が3〜4個のメールアドレスを持つ時代」について書きました。今回は、その続きです。複数のメールアドレスを持つことが当たり前になった今、私たちがもう一つ見直さなければならない事実があります。それは、
メールアドレスにも、寿命がある。
こう書くと、ほとんどの方が同じことを思われるはずです。「実際には、どれくらい起きるのか」と。正直に申し上げると、これを正確な統計で示すことはできません。ただ、私自身が30年以上、会員システムの現場で見てきた経験から、おおよその肌感覚はあります。
どれくらいの割合で起きるかは、サービスの種類・利用者層・運営年数によって大きく変わります。例えば、事業開始から5年以上が経過すると、登録当初のメールアドレスではもう本人につながらないケースが数%程度になることもありますし、学生向けサービスなど、ライフステージが大きく変わるサービスでは、それが10%を超える場面も経験してきました。これより多いことも、少ないこともあります。数字そのものに意味があるのではなく、どんなサービスでも確実に起きているという点が大切です。
念のため申し添えると、これらは調査に基づく統計ではなく、あくまで30年以上現場で見てきた経験としての目安にすぎません。
それでも、あえて数字を挙げたのは、正確な割合を示したいからではありません。お伝えしたいのは、メールアドレスの寿命が、どこか遠くの話ではないということです。割合の大小にかかわらず、今このときも、自分たちの会員データベースの中で、確実に起きている問題だからです。
メール配信システムは、昔からこの問題に向き合ってきた
実は、この問題は新しいものではありません。メール配信サービスは、ずっと以前からこの課題に向き合ってきました。例えば、
- 配配メール
- MyASP
- SendGrid
- Amazon SES
- Xserverやさくらインターネットなどのレンタルサーバーのメール機能
これらには共通点があります。それは、メールが届かなかった理由(バウンス)をシステマチックに管理していることです。サービスによって画面や運用方法は異なります。しかし、「届かないメールアドレスへ送り続けない」という考え方は共通しています。
つまり、メールを届ける仕組みは、昔から「メールアドレスは変わるもの」「使えなくなるもの」として設計されてきました。一方で、多くの会員システムは、今でも「メールアドレスは変わらない」という前提で設計されています。ここに、大きなギャップがあります。
会員システムは、なぜ「管理」してこなかったのか
ここで、一つの疑問が浮かびます。なぜメール配信システムはメールアドレスの状態を管理し、会員システムは管理してこなかったのでしょうか。「会員システムの怠慢だ」と言いたいわけではありません。私は、両者の「仕事」がそもそも違っていたからだと考えています。
メール配信システムの仕事は、「届けること」です。届かないメールアドレスへ送り続ければ、自分たちの送信品質(レピュテーション)が下がってしまう。だから、メールアドレスが「今どうなっているか」を、常に見続ける必要がありました。
一方、会員システムの仕事は、長らく「登録すること」でした。入会してもらい、情報を記録し、会員として管理する。登録された瞬間の情報が正しければ、役割を果たしたことになります。だから、登録されたあとのメールアドレスが「今どうなっているか」までは、そもそも管理対象に入っていませんでした。
つまり、両者は同じメールアドレスを扱いながら、見ているものがまったく違っていたのです。メール配信システムが見ていたのは、メールアドレスの「今の状態」。会員システムが見ていたのは、登録時点で記録された「情報」でした。
会員システムは、メールアドレスを
「属性(Attribute)」として記録してきました。
しかし、これからは「状態(State)」として捉える必要があります。
属性(Attribute)とは、登録された時点で記録される、固定的な情報です。氏名や住所と同じように、メールアドレスも「登録された一つの値」として扱われてきました。一方、状態(State)とは、時間とともに変化していく、今このときの状況です。同じメールアドレスでも、昨日は届いたのに今日は届かない、ということが起こり得ます。
会員システムがこれまで「メールアドレスは変わらない」という前提で設計できたのは、メールアドレスを属性としてしか見てこなかったからです。会員システムが学ぶべきこと。それは、メールアドレスを「属性(Attribute)」ではなく、「状態(State)」として捉え直すことです。
バウンス(不達)とレピュテーションの真実
バウンスとは、送信したメールが配信できなかったことを意味します。一般的には次の二つに分類されます。
存在しないメールアドレスや削除されたアカウントなど。基本的に再送しても届きません。
受信ボックスの容量不足や一時的なサーバー障害など。時間を置けば届く可能性があります。
メール配信サービスが、これらを厳しく管理する理由があります。それは、レピュテーション(送信者評価)を守るためです。レピュテーションとは、送信ドメインや送信IPアドレスに対する信頼度です。GmailやYahoo!メール、Outlookなどは、「この送信者は信頼できるか」を継続的に評価しています。例えば、
- 存在しないメールアドレスへ送り続ける
- バウンス率(不達率)が高い
- 迷惑メールとして何度も報告される
このような状態が続くと、送信者の評価は徐々に下がります。その結果、本来届くはずのメールまで迷惑メールフォルダへ振り分けられたり、受信拒否されたりする可能性があります。メール配信サービスが守っているのは、送信品質なのです。
しかし、バウンスは一筋縄ではいかない
ここが実務で最も難しいところです。「バウンスした。」だから「メールアドレスは存在しない。」とは限りません。
例えば、キャリアメールでは、迷惑メール対策のためにSMTP通信の段階で受信を拒否することがあります。送信側から見ると、配信エラーやハードバウンスのように見えます。しかし実際には、メールアドレスは存在しています。受信側が受け取りを拒否しただけなのです。つまり、「バウンス=存在しないメールアドレス」ではありません。
Gmailでも同じことが起こる
「Gmailなら安心。」そう思われがちですが、実際には違います。同じ送信元から送ったメールでも、
- あるGmailでは受信トレイへ届く
- 別のGmailでは迷惑メールフォルダへ入る
- さらに別のGmailでは受信自体が拒否されることもある
Googleは、SPF・DKIM・DMARC・ドメインの評価・IPアドレスの評価・メール本文・利用者の迷惑メール報告・過去の受信履歴など、多くの要素を組み合わせて配送方法を決定しています。つまり、存在するメールアドレスだからといって、必ず届くわけではありません。
Yahoo!メールにも「寿命」がある
日本ではYahoo!メールも重要な存在です。長い歴史があり、多くのECサイトや会員サイトで利用されてきました。そのため、会員データベースの中には、何年も前に登録されたYahoo!メールアドレスが残っていることも珍しくありません。
一方で、Yahoo!メールは長期間利用されない場合、メールボックスやメールアドレスが利用停止となる場合があります。会員システムから見れば「登録されている正しいメールアドレス」です。しかし実際には、利用できない状態になっていることがあります。これも、メールアドレスにも寿命があることを示す一つの例です。
メールアドレスにも、健康状態がある
ここまで、会社メール、Gmail、キャリアメール、Yahoo!メールと、別々の事例を見てきました。しかし、これらはバラバラの話ではありません。すべて「同じメールアドレスでも、その状態(State)は刻々と変化している」という、一つのテーマで説明できます。一度、頭の中を整理してみましょう。
ここまで見てくると、メールアドレスは単純に「存在する」「存在しない」だけでは判断できないことが分かります。
| メールアドレス | 実際の状態 | システムから見た事象 |
|---|---|---|
| 会社メール | 退職によりアカウント削除 | ハードバウンス |
| Gmail① | アクティブに利用中 | 正常に受信 |
| Gmail② | ドメイン評価などの影響 | 迷惑メールフォルダへ振り分け |
| キャリアメール | 独自の高セキュリティ設定 | 一時的な受信拒否 |
| Yahoo!メール | 長期未利用による利用停止 | 受信不可 |
同じ「登録されているメールアドレス」であっても、その状態は驚くほど異なります。つまり、メールアドレスにも健康状態(Health)があるのです。人間に健康診断があるように、メールアドレスにも健康診断が必要な時代になりました。
メールアドレスは、「生きている」「死んでいる」という二択ではありません。正常に届く状態もあれば、迷惑メールフォルダへ振り分けられる状態、一時的に受信を拒否される状態、長期間利用されず寿命を迎えた状態もあります。
言い換えれば、これからの会員システムが向き合うべきなのは、メールアドレスが「ある」か「ない」かではありません。「今、どんな状態(State)にあるのか」です。前章で触れた、メールアドレスを「属性(Attribute)」ではなく「状態(State)」として捉えるという考え方は、この健康状態という発想とそのまま重なります。健康状態(Health)とは、メールアドレスのState(状態)を表す、最も分かりやすい指標なのです。
だから、これからの会員システムが管理すべきなのは、メールアドレスそのものではありません。そのメールアドレスが、今も会員と確実につながるための連絡先として機能しているか。その健康状態を継続的に把握し、必要に応じて更新していくことです。
まとめ
メールが届くかどうか。これは、多くの運営者が関心を持つテーマです。しかし、本当に考えるべきことは、「メールが届いたか」という結果ではありません。そのメールアドレスは、今も本人につながる連絡先として機能しているか。という視点です。
第1回では、一人が複数のメールアドレスを使い分ける時代になったことについて考えました。その背景には、一人が用途やライフステージに応じて複数のデジタルアイデンティティ(Identity)を持つようになったという変化があります。仕事用、プライベート用、サービス登録用、そして昔使っていたメールアドレス。メールアドレスは変わっても、その人自身は変わりません。つまり、Identityは変わらなくても、Identityにつながるメールアドレスは変化し続けるのです。
これまでの会員システムは、登録された情報——つまり属性(Attribute)が正しいことを前提に設計されてきました。しかし、これからの会員システムでは、登録された属性(Attribute)だけでは十分ではありません。そのメールアドレスが、今どのような状態(State)にあるのかを継続的に把握することが重要になります。メールアドレスは登録して終わる情報ではありません。時間とともに変化し続ける、生きた連絡先だからです。
では、なぜそこまでして、その状態を見続ける必要があるのでしょうか。
メール配信システムが守っているのは、送信品質です。では、会員システムが守るべきものは何でしょうか。私は、それは人とのRelationship(関係性)だと考えています。
メールアドレスは、それ自体が目的ではありません。Identityにつながり、人とのRelationshipを維持するための入口です。だから、本当に管理すべきなのはメールアドレスという文字列ではありません。
そのメールアドレスが、今もIdentityにつながり続け、
人とのRelationshipを維持できる
「状態(State)」にあるか。
私は、これからの会員システムは、この視点を持つ必要があると考えています。Identity(人)を理解し、State(状態)を把握し、その先にあるRelationship(関係性)を育てる。この連載が目指している設計思想は、まさにこの流れです。次に紹介する「メールアドレス・ヘルスチェック」は、その第一歩となる考え方です。
私は、この考え方を「メールアドレス・ヘルスチェック」と呼んでいます。これは単なるメール管理のテクニックではありません。「その人と、今もつながれているか」を見続けるための、新しい会員システムの設計思想です。
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