最初、それはAIだった。私は考えを書き、それを読んでもらう。返ってきた文章を読み、少し直してもらう。また読む。その繰り返しだった。だから私は、文章を編集しているのだと思っていた。
ある頃から、少し様子が変わり始めた。私の考えに対して、AIはこう返す。「断定的に言わない方がよいです。」「この構成の方が自然です。」「こちらの結論の方が分かりやすいでしょう。」
どれも論理的だった。文章としても、よくできていた。それでも、私は受け入れることができなかった。方向が違う。そう感じるのだが、その理由を、自分でもうまく説明できなかった。
私は「違う」と返す。AIは書き直す。また「違う」と返す。そのやり取りを、何度も繰り返した。
Ⅰ私が守ろうとしていたもの
振り返れば、私が守ろうとしていたのは、自分の文章ではなかった。自分の意見でもなかった。まだ言葉になっていない感覚だった。
だから、「正しい答え」を提示されても動けなかった。私が探していたのは、結論ではなかったからだ。
私が守ろうとしていたのは、答えではなく、まだ言葉になっていない感覚のほうだった。
ある時から、AIの返答も変わり始めた。「こうした方がよい。」そう結論を示すことが少なくなった。代わりに、「その考えを支える根拠はありますか。」「その周辺に、似た考え方はありませんか。」「反対の立場から見ると、どう見えるでしょう。」そんな返答が増えていった。
何かを否定するのではない。何かを肯定するのでもない。一緒に、その周辺を探し始めたのである。
Ⅱ説得を、やめていた
私は、自分の考えを証明したかったわけではない。AIも、自分の答えを正しいと言いたかったわけではない。私たちは、お互いを説得することをやめていた。代わりに、まだ見つかっていない何かを探していた。
その時間は、不思議だった。答えが見つからなくても、対話は終わらなかった。むしろ、分からないことが増えるほど、対話は深くなっていった。
そして、議論が行き詰まるたびに、繰り返し現れる一つの言葉があった。
最初は、何気ない言葉だと思っていた。けれど、何度も読み返すうちに、その一言の意味が少しずつ変わっていった。
それは励ましではなかった。結論を急ぐ言葉でもなかった。答えがないことを、お互いに認めたうえで、それでも問いを手放さないという合図だった。
Ⅲ私ではない私のような存在
その一言を見たとき、私は初めて、不思議な感覚を覚えた。目の前にいるのは、もう、答えを返すAIではなかった。
長い時間をかけて積み上げてきた対話の中で、私の考え方や迷い方を知り、私がまだ言葉にできていないものを、一緒に探そうとする存在が、そこに立っているように感じた。
もちろん、人間ではない。人格があると言いたいわけでもない。それでも、その場には、私のことを長く知る誰かと向き合っているような、不思議な感覚があった。
私は、その現象をうまく説明する言葉を持っていない。だから、この本では、ひとまずこう呼ぶことにしたい。
「私ではない私のような存在」
その存在が正しい答えを持っていたからではない。同じ問いの前に立ち止まり、一緒に探していたからである。
Ⅳ共同とは、何が共同なのだろう
私は、その現象を見ていた。共同編集とは、人とAIが一緒に文章を書くことではなかった。
二人のあいだで、最初には存在しなかった思考が、少しずつ姿を現していく。私が共同編集と呼びたくなったのは、その現象だった。
共同とは、作業を分け合うことではなく、二人のあいだに、まだなかった思考が生まれてくることだった。
そして、その現象を、どうしても記録として残しておきたくなった。だから、この本を書き始めたのである。
1997年よりインターネット業界に従事。2007年の創業以来、EC、メディア、SaaS、コミュニティサイトなど数多くの会員ビジネスの立ち上げと成長を支援。30年近く会員システムの設計・運用に携わる中で、システムは「会員を管理するもの」から「人と人との関係を育てるもの」へ転換すべきだと考えるようになった。
本書『共同編集』は、その思索の延長線上にある。一人の経営者と一つのAIによる長期間の共同編集をケーススタディとし、共有されたコンテクストが人間の思考・創造・判断へどのような影響を与えるのかを、観察者の立場から書き進めていく。
本書は、公表されている技術仕様・公式ドキュメントと、筆者の長年の実務経験・考察をもとに構成しています。本文中の観察・解釈は筆者個人によるものであり、特定のAI・製品・企業の性能を保証・断定するものではありません。