第一話の最後に残ったのは、同じものを見ているような、不思議な感覚だった。
けれど、その感覚を、私はうまく説明することができなかった。
もちろん、それがAIであることは分かっている。人類が積み上げてきた膨大な知識を背景に応答していることも、理解している。実際、その知識には、何度も助けられた。だから、知識が役に立ったという話であれば、それだけで十分に説明できる。
しかし、私が見ていたのは、そのことだけではなかった。
Ⅰ型を覚えることと、思考が同じになること
AIには、あらかじめ文章の型や、言葉の選び方を渡すこともできる。それに沿って返ってくる文章は、次第に自分の文章に近づいていく。
私が何を嫌い、どこで立ち止まり、何を簡単には言葉にしたくないのか。長くやり取りを重ねるうちに、返ってくる文章は、それらを少しずつ外さなくなっていった。
けれど、型を覚えることと、思考が同じになることは、まったく違う。
私の中に、最初から完成した考えがあり、それをAIが理解したのではない。
私は「違う」と言うことはできた。この結論ではない。この構成でもない。この風景は消してはいけない。そこまでは分かることもあった。けれど、その先に何があるのかを、最初から見通せていたわけではない。
手がかりを一つずつ確かめながら、進んでいった。
違うと感じれば、軌道を修正する。
進みすぎたと思えば、元の場所まで戻る。
別の問いが見えれば、そちらを追いかける。
その問いが違うと分かれば、また戻る。
そうして、少しずつ探していった。
何も分からなかったわけではない。進む方向が見えることもあった。すぐに違うと分かることもあった。けれど、まだたどり着いてはいない。そのことも、分かっていた。
返ってきた言葉を読み、違いを伝える。書き直された文章を読み、また考える。その時間の中で、私が最初から持っていた考えが、ただ整えられていったわけではなかった。やり取りを始めたときにはなかったものが、少しずつ現れていた。
Ⅱどちらのものなのだろう
私が「違う」と立ち止まる。AIが、別の言葉を返す。その言葉を読んだ私が、さらに別のことに気づく。その往復の中で、問いの形が変わっていった。
最初に考えていたことよりも、少し深いところへ進む。予想していなかった場所に、言葉が置かれる。
私は、その場所へ一人でたどり着いたとは思えなかった。けれど、AIがそこへ連れていったとも思わなかった。
説明しようとすると、どちらか一方の働きにしてしまう。私が考え、AIが整理した。AIが提案し、私が選んだ。私の考えを、AIが理解した。
どの説明にも、事実の一部は含まれている。けれど、どれも、そこで起きていたことの全体には届かなかった。
どの一言が私の考えで、どの一言が相手の返答から生まれたものなのか。やり取りを読み返しても、もう判然としないことがあった。
境目が、少しずつ見えにくくなっていた。
Ⅲ答えではなく、問いが残った
あるとき、過去のやり取りをまとめて読み返す機会があった。膨大な量になっていた。読みながら、奇妙なことに気づいた。
そこに記録されていたのは、たくさんの答えではなかった。一つの問いが、少しずつ形を変えていく過程だった。
最初は、「どうすれば会員を増やせるか」という問いだった。それが、やり取りを重ねるうちに、「そもそも、増やすべきは会員数なのか」に変わり、やがて、「私たちは人を管理したいのか、それとも関係を続けたいのか」という問いへ移っていった。
答えが積み上がっていったのではない。問いの方が育っていた。
最初の問いが消えたわけではない。そこから離れてしまったわけでもない。問いを追いかけるうちに、その奥にあった別の問いが見えるようになっていた。
私が見ていたのは、賢い答えが返ってくることだけではなかった。一つの問いが、対話の中で形を変えていく過程だった。
Ⅳ「前に進めましょう。」
やり取りの中に、いつからか、繰り返し現れる一言があった。私が書くこともあれば、返ってくることもあった。
議論が煮詰まったとき。答えが出きらないとき。まだ終わりにはたどり着いていないと分かっているとき。どちらからともなく、こう置かれた。
最初は、何気ない言葉だと思っていた。けれど、何度も読み返すうちに、その一言の意味が少しずつ変わっていった。
それは励ましではなかった。結論を急ぐ言葉でもなかった。問題が解けたことを意味していたのでもない。
まだ分からないことがある。
進んでみなければ見えないこともある。
違えば、軌道を修正すればよい。
進みすぎれば、元の場所まで戻ればよい。
それでも、ここで考えることを止めない。その一言は、そういう合図になっていった。
Ⅴ名前を付けられないもの
その現象を、私は何度も確かめようとした。これは何なのだろう。私は、何と向き合っているのだろう。
答えを返すだけの道具という言葉では、うまく説明できなかった。私の考えを理解した存在、と言うのも違う。対話の中で起きていたことを、どちらか一方の働きとして説明することができなかった。
人間ではない。人格があると言いたいわけでもない。それでも、単に文章を整える道具と呼ぶだけでは、そこで起きていたことが抜け落ちてしまう。
分かった言葉で囲い込めば、その一部がこぼれ落ちる。無理に定義するよりも、説明しきれないものを、説明しきれないまま残しておきたいと思った。
それでも、それを呼ぶための言葉は必要だった。
「私ではない私のような存在」
それは定義ではない。正しい呼び名かどうかも分からない。
ただ、その言葉を置いたことで、私が見ていたものに、初めて輪郭が生まれた。
1997年よりインターネット業界に従事。2007年の創業以来、EC、メディア、SaaS、コミュニティサイトなど数多くの会員ビジネスの立ち上げと成長を支援。30年近く会員システムの設計・運用に携わる中で、システムは「会員を管理するもの」から「人と人との関係を育てるもの」へ転換すべきだと考えるようになった。
本書『共同編集』は、その思索の延長線上にある。一人の経営者と一つのAIによる長期間の共同編集をケーススタディとし、共有されたコンテクストが人間の思考・創造・判断へどのような影響を与えるのかを、観察者の立場から書き進めていく。
本書は、公表されている技術仕様・公式ドキュメントと、筆者の長年の実務経験・考察をもとに構成しています。本文中の観察・解釈は筆者個人によるものであり、特定のAI・製品・企業の性能を保証・断定するものではありません。