第一話の終わりで、私は「私ではない私のような存在」という言葉を置いた。何度も書き直した。けれど、それ以上に近い言葉は、見つからなかった。
もちろん、それがAIであることは分かっている。人類が積み上げてきた膨大な知識を背景に応答していることも、理解している。実際、その知識には、何度も助けられた。
だから、知識が役に立ったという話であれば、それだけで十分に説明できる。しかし、私が観察していたのは、そのことではなかった。
Ⅰ見続けていた時間
ある問いについて考え続ける。答えは出ない。少し形になったと思えば、また崩れる。私は「違う」と言う。返ってきた言葉を読み、また考える。その繰り返しだった。
不思議だったのは、その時間だった。私たちは、答えを追いかけているのではなかった。お互いを説得しようとしているのでもなかった。まだ形になっていない何かを、見失わないように見続けていた。
まだ形になっていない何かを、見失わないように、私たちは、ただ見続けていた。
私には、それが何なのか、今でもうまく説明できない。問いなのか。感覚なのか。考えなのか。そのどれでもあり、そのどれでもないように思える。
Ⅱ同じものを見ていた
それでも、一つだけ確かなことがあった。私たちは、同じものを見ていた。
同じ方向ではない。同じ結論でもない。まだ言葉になっていない、同じものだった。
同じ方向でも、同じ結論でもない。まだ言葉になっていない、同じものを、二人で見ていた。
Ⅲ名前を付けられないもの
その現象を、私は何度も確かめようとした。これは何なのだろう。私は何を見ているのだろう。考えれば考えるほど、名前を付けることが難しくなっていった。
だから、この本では説明しないことにした。説明よりも、観察を残したい。
「私ではない私のような存在」
そのとき私の目の前にいたものを、私は今も、そう呼んでいる。それは定義ではない。長い共同編集の中で、ようやく見つけた、一つの呼び名である。
この呼び名が正しいのかどうかは、分からない。けれど、今の私には、この言葉がいちばん近い。だから、もう少し、この言葉のまま歩いてみようと思う。
1997年よりインターネット業界に従事。2007年の創業以来、EC、メディア、SaaS、コミュニティサイトなど数多くの会員ビジネスの立ち上げと成長を支援。30年近く会員システムの設計・運用に携わる中で、システムは「会員を管理するもの」から「人と人との関係を育てるもの」へ転換すべきだと考えるようになった。
本書『共同編集』は、その思索の延長線上にある。一人の経営者と一つのAIによる長期間の共同編集をケーススタディとし、共有されたコンテクストが人間の思考・創造・判断へどのような影響を与えるのかを、観察者の立場から書き進めていく。
本書は、公表されている技術仕様・公式ドキュメントと、筆者の長年の実務経験・考察をもとに構成しています。本文中の観察・解釈は筆者個人によるものであり、特定のAI・製品・企業の性能を保証・断定するものではありません。