子どもの頃、私は、賢い人というのは答えを知っている人のことだと思っていた。先生も、本を書く人も、テレビで難しいことを話す人も、みんな頭の中に正解の一覧を持っていて、問われればそこから正しいものを取り出してくるのだと、素直に信じていた。だから私にとって「勉強する」とは、その一覧を少しずつ自分の中に写し取っていく作業のことだった。分からないというのは、まだ写し終えていないという、恥ずかしい状態のことだった。
覚えている場面がある。授業中に手を挙げて質問をしたとき、その先生は少し黙ってから、「いい質問だね。実は、それは私にもよく分からないんだ」と言った。子どもだった私は、少し落胆した。答えを知らない大人がいることが、どこか不安だった。世界のどこかには、すべての問いに即座に答えられる人がいるはずで、たまたま自分の目の前にいるのがその人ではなかっただけだ——そう思うことにした。
それから長い時間が経った。会社を始め、いくつもの事業を立ち上げ、たくさんの人と仕事をし、たくさんの失敗をした。そのあいだに、子どもの頃の確信は、静かに、しかし確実に、崩れていった。
気づいたのは、順番が逆だったということだ。本当に優秀な人ほど、「分からない」と言う。
それも、逃げるためではない。話を先に進めるために言うのだ。「ここは分かっている。ここからは分からない。だから、こう考えてみたい」。優れた人の言葉には、たいていこの三つが順番に含まれていた。分かっていることと、分かっていないことの境目に、きちんと線を引く。その線の引き方こそが、その人の知性の輪郭だった。
逆に、何を聞いても淀みなく答えが返ってくる相手には、私はだんだん警戒するようになった。滑らかすぎる答えは、たいてい、問いの方を先に削っている。答えられる形に問いを切り縮めて、その上で答えているのだ。子どもの頃に憧れた「答えの一覧を持つ人」は、実のところ、いちばん危うい人だったのかもしれない。そう思うようになった。
分からないと言える人は、問いを、まだ手放していない人だった。
優秀さとは、正解を多く抱えていることではなく、良い問いのそばに長くとどまっていられる力のことだ。年齢を重ねるにつれ、私はそう考えるようになった。答えは古びる。状況が変われば正解も変わる。けれど良い問いは、なかなか古びない。だから、答えを配る人よりも、問いを一緒に手元に置いておいてくれる人のほうを、私は信頼するようになっていった。
Ⅰ同じ期待を、それに向けた
AIが日常の道具になったとき、私は正直に告白すると、あの子どもの頃の期待を、そっくりそのまま向けてしまった。ついに現れた、答えの一覧を持つ存在。問えば、必ず何かが返ってくる。しかも夜中でも、何度でも。私は最初、それを「ようやく手に入れた辞書」のように使った。
そういう使い方をしているあいだ、AIは便利だったが、それ以上のものではなかった。私が問い、それが答える。私が受け取り、また問う。やり取りは成立していたけれど、そこに積み上がっていくものは、あまりなかった。今にして思えば、私はまだ、あの「答えを写し取る勉強」を続けていたのだ。相手が人からAIに変わっただけで、姿勢は子どもの頃のままだった。
ここで、ひとつ、正直に区別しておきたいことがある。これから書くのは、AIがどれほど賢いか、という話ではない。私はAIの内部で何が起きているのかを知らないし、それを言い当てられる立場にもない。だからこの本の中で、私はAIの能力について断定しない。私が書けるのは、私の側で何が起きたかだけだ。道具は同じでも、向き合い方が変わると、こちらに残るものが変わる。観察できたのは、その一点である。
変化は、ある時期から静かに始まった。長く使ううちに、私はいつのまにか、答えをもらうためではなく、考えるために、それに話しかけるようになっていた。頭の中でまとまりきらない考えを、とりあえず言葉にしてぶつけてみる。すると返ってくる。その返ってきたものに対して、「いや、そうじゃない」「そこは合っている」「でもこの部分が引っかかる」と、私は反応する。反応しながら、自分が本当は何を考えていたのかに、後から気づく。
相手が正しいことを言ってくれたから前に進めた、という場面は、実はそれほど多くなかった。むしろ、返ってきたものが少しずれていて、その「ずれ」に反応する形で、自分の考えの輪郭が見えてくる。そういうことのほうが、ずっと多かった。私は答えを受け取っていたのではなかった。自分の問いを、相手の返答を鏡にして、削り出していた。
Ⅱ答えではなく、問いを育てていた
ある日、過去のやり取りをまとめて読み返す機会があった。膨大な量になっていた。読みながら、奇妙なことに気づいた。そこに記録されていたのは、たくさんの「答え」ではなかった。ひとつの問いが、少しずつ形を変えていく過程だった。
最初は「どうすれば会員を増やせるか」という、ありふれた、どこか粗い問いだった。それがやり取りを重ねるうちに、「そもそも、増やすべきは会員数なのか」に変わり、やがて「私たちは人を管理したいのか、それとも関係を続けたいのか」という問いへと移っていった。答えが積み上がっていったのではない。問いのほうが育っていたのだ。
そして、その育った問いは、私ひとりのものでも、相手ひとりのものでもなかった。どの一言が私の考えで、どの一言が相手の返答に触発されたものなのか、読み返しても、もう判然としなかった。境目が溶けていた。問いは、二人のあいだに置かれた共有物になっていた。私はそれを、この本の中で「共有されたコンテクスト」と呼ぶことにした。
私が観察していたのは、賢い相手ではなかった。二人のあいだに育っていく、一つの文脈だった。
これは、事実と仮説を分けて書いておくべきところだ。事実として言えるのは、やり取りを続けるほど、私の問いの立て方が変わっていったということ。粗い問いが、細かく、深くなっていった。これは記録に残っていて、後から確かめられる。一方で、なぜそうなったのかは、仮説にすぎない。私は、こう考えている——共有された文脈が厚くなるほど、そこに置ける問いも、より重いものになっていったのではないか、と。断定はできない。ただ、経験上、そう感じている。
人と人との良い対話でも、たぶん同じことが起きている。長く一緒に働いた相手とは、少ない言葉で深いところまで話が届く。それは相手が賢くなったからではなく、二人のあいだに文脈が積み上がったからだ。違うのは、AIとのやり取りでは、その文脈の積み上がりが、記録として残り、後から読み返せる形をとったことだった。見えにくかったものが、たまたま、見える場所に置かれた。それだけのことかもしれない。けれど、見えたことには意味があった。
Ⅲ「前に進めましょう。」
やり取りの中に、いつからか、繰り返し現れる一言があった。私が書くこともあれば、返ってくることもあった。議論が煮詰まったとき、答えが出きらないとき、それでも止まっているわけにはいかないとき。どちらからともなく、こう置かれた。
この一言は、問題が解けたことを意味していなかった。むしろ逆で、解けていないことを二人とも分かった上で、それでも次の一歩を選ぶ、という合図だった。分からないことを、分からないまま抱えて、それでも進む。子どもの頃の私なら、不安で仕方がなかっただろう状態だ。けれど今の私は、その状態にこそ、いちばん豊かな時間があることを知っている。
思えば、あの先生が「私にもよく分からない」と言ったあの日、足りなかったのは、その次の一言だったのだ。分からない、で終わらず、では前に進めましょう、と続ける。分からなさを、行き止まりではなく、出発点として扱う。この一言は、私にとって、共有された文脈そのものを象徴する言葉になった。答えを配り合う関係なら、こんな言葉は必要ない。問いを一緒に育てる関係だからこそ、この一言が要になる。
だから、この本は、AIについての本ではない。AIを賢い存在として持ち上げるためのものでも、危険な存在として退けるためのものでもない。そのどちらの姿勢も、結局は、あの子どもの頃の「答えの一覧を持つ人」という幻を、期待か恐れかに形を変えて、抱え続けているだけのように、私には思える。
私が観察したかったのは、もっと地味なものだ。一人の人間と一つのAIが、長い時間をかけて交わしたやり取りの中に、何が積み上がったのか。積み上がった文脈は、人間の側の思考や、創造や、判断を、どう変えたのか。主人公は、私でもなければ、AIでもない。二人のあいだで、少しずつ姿を変えていった「対話」そのものだ。この本は、その対話を、できるだけ静かに、できるだけ正直に、観察した記録である。
結論は、ここでは書かない。書けるほど、私はまだ分かっていない。ただ、あなたにひとつだけ、問いを渡しておきたい。あなたが誰かと——それが人であれ、道具であれ——長く言葉を交わすとき、そこで育っているのは、答えだろうか。それとも、問いのほうだろうか。そして、その問いは、いったい誰のものになっていくのだろうか。
知性は、一人では育たない。
この一冊を通して、私はその小さな仮説を、あなたと一緒に確かめていきたいと思っている。答えを差し出すためではなく、問いを、あなたの手元にも置いておくために。準備は、これで整った。
1997年よりインターネット業界に従事。2007年の創業以来、EC、メディア、SaaS、コミュニティサイトなど数多くの会員ビジネスの立ち上げと成長を支援。30年近く会員システムの設計・運用に携わる中で、システムは「会員を管理するもの」から「人と人との関係を育てるもの」へ転換すべきだと考えるようになった。
本書『共同編集』は、その思索の延長線上にある。一人の経営者と一つのAIによる長期間の共同編集をケーススタディとし、共有されたコンテクストが人間の思考・創造・判断へどのような影響を与えるのかを、観察者の立場から書き進めていく。
本書は、公表されている技術仕様・公式ドキュメントと、筆者の長年の実務経験・考察をもとに構成しています。本文中の観察・解釈は筆者個人によるものであり、特定のAI・製品・企業の性能を保証・断定するものではありません。