私は普段、落ち着いて文章を書くことはあまりない。
会社を経営し、新しい事業を考え、システムを設計し、人と会う。考える時間は長い。
けれど、その考えを文章として残すことは、ほとんどなかった。考えて終わる。次の仕事へ向かう。それが私の日常だった。
今回、中国へ向かったのも、文章を書くためではなかった。仕事だった。
ただ、一つだけ、自分の中で確かめたいことがあった。義兄の会社の仕事をしてくれている、一人の職人に会うことだった。
Ⅰできません
私が彼の存在を知ったのは、ある特殊な案件がきっかけだった。
企業ロゴに使われているPantoneで指定された金属色を、OPPテープで再現してほしいという相談だった。
その金属色には粉末状の粒体を混ぜなければならない。つるつるとした透明なOPPテープに粒体を密着させることは難しく、テープへの印刷が難しい色として知られている。
取引先は、いくつもの会社へ相談した。しかし、返ってきた答えは同じだった。
「できません。」
その頃、私は義兄が中国で特殊なテープの製造を行っていることを周囲へ話していた。「難しい案件があれば、一度相談してください。」そう伝えていたところ、その取引先から連絡があった。
「どの会社にも断られました。一度、相談できませんか。」
その案件を実際に形にしたのが、今回会いに行った若い職人だった。
私は、不思議だった。断った会社も、印刷の専門家である。色も知っている。材料も知っている。それなのに、なぜ彼にはできたのだろう。
その答えを知りたくて、私は中国へ向かった。
Ⅱ途中の色が見えている
実際に会ってみると、彼は想像していたよりも若かった。そして、驚くほど自然に仕事の話をする。
「十代の頃、アルバイトでこの仕事を始めたときから、自分は少し違うと思っていました。」
彼には、普通の人には見分けられない色の違いが見えていた。一度見た色を記憶することもできる。
しかし、それだけではない。印刷は、インクだけで決まる世界ではなかった。素材によって色は変わる。温度によって変わる。機械によっても変わる。
テープでは、隣り合う色が何か、背景色が何かで、色の印象が変わる。そう言って彼は、キャラクターの入った印刷物を、インクで汚れた手で見せてくれた。
彼は完成した色を見るのではなく、その途中で起こる変化まで見ていた。
この温度なら、少し赤くなる。この素材なら、少しくすむ。乾燥すれば、もう少し落ち着く。
そうした変化を頭の中で組み立てながら、最後に現れる色を予測していた。私は、そんな世界があることを初めて知った。
Ⅲ色を支配する
以前、義兄がこんなことを言っていた。
「印刷会社は、色を支配する仕事なんだ。」
そのときは、意味がよく分からなかった。色は再現するものだと思っていたからだ。
しかし、彼の仕事を見て、その言葉の意味が少し分かった。
色は、思いどおりにはならない。素材も、熱も、環境も、すべてが色を変えてしまう。だからこそ、その変化を理解し、最後に狙った色へ導いていく。
「色を支配する」とは、色を無理に従わせることではなかった。変化を知り、その変化を味方につけることだった。
Ⅳ見え始めた街
私は、一人の職人に会いに来た。
知りたかったのは、
「なぜ、彼にはできたのか。」
その答えは、特別な才能だけではなかった。
鋭い感覚があり、それを何年も現場で磨き続けてきた。
毎日、色を見て、
毎日、試して、
毎日、失敗し、
毎日、考え続けてきた。
その積み重ねが、誰にもできなかった仕事を可能にしていた。
彼の技術が特別であることは、話を聞くほどよく分かった。
同時に、その技術が働くためには、多くのものが必要であることも見えてきた。
色をつくる人がいる。
素材をつくる人がいる。
機械をつくる人がいる。
それぞれがつながって、初めて一つの製品になる。
1997年よりインターネット業界に従事。2007年の創業以来、EC、メディア、SaaS、コミュニティサイトなど数多くの会員ビジネスの立ち上げと成長を支援。30年近く会員システムの設計・運用に携わる中で、システムは「会員を管理するもの」から「人と人との関係を育てるもの」へ転換すべきだと考えるようになった。
本書『共同編集』は、その思索の延長線上にある。一人の経営者と一つのAIによる長期間の共同編集をケーススタディとし、共有されたコンテクストが人間の思考・創造・判断へどのような影響を与えるのかを、観察者の立場から書き進めていく。
本書は、公表されている技術仕様・公式ドキュメントと、筆者の長年の実務経験・考察をもとに構成しています。本文中の観察・解釈は筆者個人によるものであり、特定のAI・製品・企業・人物の性能や評価を保証・断定するものではありません。