会員ビジネスLab 未来構想ノート / 書籍プロジェクト

共同編集

知性は、一人では育たない

第一巻 第四話

その名を、私は知らなかった

一人の職人に会いに来たはずだった。
しかし、その仕事をたどっていくと、
世界最大級の工場へ行き着いた。

私は、一人の若い職人に会うために、中国へ来た。

どの会社にもできないと言われた色を、なぜ彼だけが形にできたのか。その理由を知りたかった。

実際に会ってみると、彼には特別な感覚があった。そして、長い時間をかけて、その感覚を技術へ変えていた。

私は、彼に会うことで、「なぜ彼にはできたのか」という問いの答えを、少し理解したつもりになっていた。

けれど、彼の仕事を見つめるうちに、今度は、その技術がどのように一つの製品へつながっていくのかが気になり始めた。

彼が色を見分けることができても、その色を形にする素材がいる。何度も試すための設備がいる。そして、完成した製品へ仕上げる仕事が、その先に続いている。

その答えは、工場の外にあった。

Ⅰ街の外へ

私たちは、その職人がいる街を離れ、隣の省へ向かった。

そこで訪れたのが、梱包用テープをはじめとする粘着製品を製造する巨大企業だった。

中国国内に二十カ所以上の工場を持ち、本拠地の工場だけでも、およそ二百本の生産ラインがあるという。

私は、その数字を聞いても、最初は規模をうまく想像できなかった。

一本の生産ラインがどれほど大きいのか。二百本が並ぶとは、どのような光景なのか。

実際に工場へ入り、初めてその意味が分かった。

機械が、見渡す限り並んでいた。

一本のラインから、製品が次々と送り出されていく。その隣でも、また別のラインが動いている。その先にも、そのまた先にも、同じように機械が続いていた。

材料が運ばれ、加工され、巻き取られ、切断され、梱包される。

多くの工程が自動化され、工場は二十四時間、三百六十五日動いているという。20トン以上あるといわれる機械が並んでいる光景は、私の想像を超えていた。

人の姿が見えないわけではない。しかし、人が一つずつ製品をつくっているというより、巨大な流れを保つために、人が配置されているように見えた。

では、人はどこにいるのか。多くは研究の部門にいて、新しい素材や新しい領域の研究をしているという。医療、スマホ、自動車など。すべての製品には、何かのテープが使われている。

第三話で見た若い職人の仕事とは、まったく違う光景だった。

一人の感覚を頼りに、少しずつ色を調整していく仕事。一方では、同じ品質の製品を、膨大な量で、止めることなくつくり続ける仕事。

同じテープを扱っていても、その世界は大きく異なっていた。

Ⅱ名前の見えない巨大企業

一般に、粘着テープの会社と聞けば、3Mの名前を思い浮かべる人は多いだろう。

しかし、世界の製造現場には、一般の消費者にはほとんど名前を知られていない巨大企業がある。

店頭で、その会社の名前を目にすることは少ない。製品の表面に、企業名が大きく印刷されているわけでもない。

それでも、その工場でつくられた製品は、世界中へ送られている。

誰もが会社名を知っているわけではない。
しかし、誰かが使っている製品の中に、
その会社の技術が入っている。

私は、それまでにも、名前を知らない大企業があることは知っていた。

それでも、目の前の企業には驚いた。

日本ではほとんど名前を聞かない。けれど、その規模も、持っている力も、私が想像していたものをはるかに超えていた。

知られていないのではない。一般の消費者からは、見えにくい場所で仕事をしているのである。

世界には、名前を知られないまま、世界を支えている企業がある。

私は、そのことを、この工場で初めて実感した。

Ⅲ董事長と会う

今回、この会社の董事長とお会いする機会をいただいた。

※「董事長(とうじちょう)」とは、中国企業における取締役会(董事会)のトップを指す役職である。日本でいえば「会長」や「代表取締役」に近く、会社を代表する最高位の立場にあたる。

私たちは、大きな社長室へ迎え入れられた。

広い部屋だった。私は、世界最大級の製造企業を率いる人物に会うということで、少し身構えていた。

どのような話をする人で、何を大切にしていて、これほど大きな会社を、どのように動かしているのだろう。

この地方には、客を烏龍茶でもてなす文化があるという。

董事長は、自ら茶を入れてくださった。

小さな急須から、おちょこのような小さな器へ、烏龍茶を少しずつ注いでいく。そして、その器を私たちの前へ置いてくださった。

大きな社長室で、世界最大級の製造企業を率いる董事長が、自ら客のために茶を入れる。

私たちは、新しくはじめるオリジナルテープ事業であるOTサービスについて説明した。

日本の市場で、どのような課題が起きているのか。製造する側と販売する側の間に、どのような情報の断絶があるのか。そして、その間をつなぐために、どのような仕組みをつくろうとしているのか。

単に製品を仕入れたいという話ではなかった。

中国で製品をつくる人たちがいて、日本で製品を販売する人たちがいて、そして、その製品を実際に使う人たちがいる。

それぞれが持っている情報は違う。

製造する側には、素材や品質に関する知識がある。販売する側には、市場や顧客についての知識がある。

その間をつなぐことができれば、これまでとは違うものが生まれるのではないか。

私たちは、そうした話をした。

董事長は、私たちの話を丁寧に聞いてくださった。そして、会社がここまで成長した理由について、こう話した。

「諦めない情熱と、とことんこだわり続けたことです」

Ⅳ同じ言葉ではなかった

私は、その言葉を聞いたとき、第三話で会った若い職人を思い出した。

色が合わなければ、もう一度試す。素材を変え、温度を変え、配合を変え、狙った色が出るまで、やめない。

若い職人が語った言葉と、董事長が語った言葉は、同じではなかった。

会社の規模も違う。立場も違う。見ている世界も違う。

一方は、一つの色と向き合っている。もう一方は、世界中へ製品を送り出す巨大企業を率いている。

それでも、二人の言葉の根底には、どこか共通するものがあった。

できないと言われたから、やめるのではない。思いどおりにならないからこそ、もう一度試す。できたところで終わるのではなく、さらに良くしようとする。

一人の職人の中にあったものが、巨大企業の中にもあるように思えた。

しかし、それだけで、巨大企業が生まれるわけではない。

情熱があれば、二百本の生産ラインが動くわけではない。こだわりがあれば、世界中へ製品を送り出せるわけでもない。

そこには、まだ私の見ていない何かがあるはずだった。

Ⅴ一人から、巨大企業へ

私は、一人の若い職人に会うために中国へ来た。

その職人は、他の人には見えない色を見ていた。そして、その色を実際の製品にするために、何度も試し続けていた。

そこから少し離れた場所には、二百本もの生産ラインを持つ巨大企業があった。

一人の感覚から生まれる仕事。巨大な設備から生まれる仕事。

二つは、まったく別の世界に見えた。しかし、どちらも、一度で完成したものではなかった。

試す。
失敗する。
変える。
もう一度、試す。

その時間が積み重なり、一つの技術になり、一つの製品になり、やがて巨大な会社になっていく。

私は、優れた職人を見れば、技術を理解できると思っていた。巨大企業を見れば、産業の大きさを理解できると思っていた。

けれど、一人の職人だけを見ても、製品が生まれる仕組みは分からない。巨大企業だけを見ても、会社がここまで育った理由のすべては分からない。

一つのものを理解しようとすると、その外側が見えてくる。

職人の外には、工場がある。
工場の外には、会社がある。
会社の外には、その会社を支える何かがある。

岸本 健志
岸本 健志
会員ビジネスLab 主任研究員 / ハートランドITイノベーション代表

1997年よりインターネット業界に従事。2007年の創業以来、EC、メディア、SaaS、コミュニティサイトなど数多くの会員ビジネスの立ち上げと成長を支援。30年近く会員システムの設計・運用に携わる中で、システムは「会員を管理するもの」から「人と人との関係を育てるもの」へ転換すべきだと考えるようになった。

本書『共同編集』は、その思索の延長線上にある。一人の経営者と一つのAIによる長期間の共同編集をケーススタディとし、共有されたコンテクストが人間の思考・創造・判断へどのような影響を与えるのかを、観察者の立場から書き進めていく。

本書は、公表されている技術仕様・公式ドキュメントと、筆者の長年の実務経験・考察をもとに構成しています。本文中の観察・解釈は筆者個人によるものであり、特定のAI・製品・企業・人物の性能や評価を保証・断定するものではありません。