会員ビジネスLab 未来構想ノート / 書籍プロジェクト

共同編集

知性は、一人では育たない

第一巻 第六話

見えない工場

一つの工場で仕事が終わると、製品は次の工場へ運ばれていく。
しかし、渡されていたのは、品物だけではなかった。
次の仕事を始めるための情報も、会社から会社へ流れていた。

第五話で、私は、この街がどのように始まったのかを知った。

一人の農民と、一台の手動印刷機。そこから小さな仕事が広がり、仕事を覚えた人が増え、異なる工程を担う会社が生まれていった。

版をつくる会社、印刷する会社、切る会社、糊を貼る会社、巻き取る会社、梱包する会社がある。

それぞれは別の会社だった。では、別々の会社が、どのようにして一つの製品をつくっているのだろう。一つの工場で終わった仕事は、そのあと、どこへ向かうのだろう。

私は、街全体を管理するシステムを探していた。けれど、それがどこにあるのかを考える前に、まず、一つの製品がどのように会社から会社へ渡されていくのかを見る必要があった。

私は、一つの工場を出た製品のあとを追うように、街を見ていった。

Ⅰ一つの工場では、完成しない

最初に訪れた工場には、鉄が運び込まれていた。運び込まれた鉄は加工され、表面に銅が施される。やがて、一枚の銅版になる。

工場の中は暑かった。大きな機械が動き、材料が運ばれ、人が仕上がりを確かめている。銅版は、硫酸で腐食洗浄され、水で洗われる。一枚ずつ状態が確認され、次の工程へ送る準備が進められる。

しかし、完成した銅版は、そこで製品になるわけではなかった。トラックに積まれ、別の工場へ運ばれる。次の工場では、印刷に使う版として仕上げられる。その工程が終われば、印刷工場へ送られる。印刷が終わると、また別の工場へ渡される。

糊を貼り、巻き取り、断裁し、包装する。

一つの工場で、一つの工程が終わる。すると、その途中のものが、次の工場へ渡される。次の工場で新しい作業が加えられ、また別の工場へ渡される。一つの製品が、いくつもの会社を通りながら、少しずつ形を変えていく。

私は最初、工場を一つずつ見学しているつもりだった。けれど、一つの工場だけを見ていても、製品ができるまでの全体は見えなかった。

製品は、工場の中だけでつくられているのではない。工場から工場へ移動しながら、つくられていた。

Ⅱトラックが運んでいたもの

完成した銅版が、トラックへ積み込まれる。印刷されたフィルムが、別の工場へ運ばれる。加工を終えた製品が、次の工程へ送られる。街の中では、大小さまざまなトラックが動いていた。

品物を運ぶだけであれば、トラックがあればよい。しかし、実際の仕事は、品物を届けるだけでは進まない。

寸法は合っているのか。色は合っているのか。数量はいくつで、巻く方向はどちらで、糊を貼る位置はどこなのか。次の工程で、どのような加工をするのか。納期はいつで、次の工場は、いつ受け取れるのか。

品物が届いても、それらが分からなければ、次の仕事は始められない。

運ばれていたのは、銅版や印刷物だけではなかった。次の工程に必要な情報も、一緒に渡されていた。

その情報は、紙に書かれていることもある。製品に貼られた伝票に書かれていることもある。電話で伝えられることもある。工場へ来た人が、直接説明することもある。

品物と情報。その二つがそろって、初めて仕事は次へ進む。

Ⅲ「これから持っていく」

ある工場を出る前、担当者が電話をかけていた。話していた時間は長くなかった。

「これから持っていく」

その程度の短いやり取りだった。私は最初、その電話を、単なる到着の連絡だと思った。しかし、受け取る側にとっては、それだけではなかった。

品物が届く時間を考え、機械を空け、必要な材料をそろえる。作業をする人へ伝え、先に進めている別の仕事との順番を調整する。

品物が工場へ到着する前に、次の工場では準備が始まっていた。

トラックが品物を運ぶ。電話が、仕事の始まりを運ぶ。私は、そのように感じた。

電話で伝えられた言葉は短い。けれど、その短い言葉を受けて、別の工場の中でいくつもの動きが始まる。一つの工場で仕事が終わる。その情報が、次の工場へ渡される。そして、次の工場が動き始める。

会社と会社の間に、仕事が途切れないための連絡があった。

Ⅳ紙に書かれていないこと

もちろん、仕事に必要なことの多くは、注文書や仕様書に書かれている。寸法。素材。色。数量。納期。加工方法。書類を見れば、何をつくるのかは分かる。

しかし、実際の仕事では、書類だけでは足りないこともある。

「この素材は、少し扱いにくい」
「前の工程で、わずかにずれが出ている」
「予定より早く終わりそうだ」
「この部分は、次の加工で注意してほしい」
「いつもの方法では、うまくいかないかもしれない」

その場で作業をした人にしか分からないことがある。機械を動かした人が感じた違和感。材料に触れた人が気づいた変化。仕上がりを見た人が気にした部分。それらは、最初から仕様書に書くことができない。仕事を進める中で、初めて分かることだからである。

そこで気づいたことを、次の工場へ伝える。必要であれば、電話をかける。品物を渡すときに、一言添える。書類の余白に、注意点を書く。製品と一緒に、現場で得た情報が渡されていた。

私は、製品が会社から会社へ移動していると思っていた。しかし、実際には、その製品についての理解も一緒に移動していた。

Ⅴ誰に聞けばよいか

街を見ていると、次のような言葉を何度も耳にした。

「この印刷なら、あの会社が詳しい」
「この素材なら、あの人に聞けばいい」
「この機械なら、あそこが直せる」

自分の会社で分からないことがあっても、そこで仕事が終わるわけではなかった。詳しい会社へ聞く。経験のある人へ連絡する。必要な設備を持つ工場を紹介してもらう。

一つの会社が、すべての知識を持っているわけではない。

特殊な印刷に詳しい会社があり、フィルムの性質に詳しい会社がある。古い機械の調整方法を知っている人も、短い納期に対応する方法を知っている会社もある。

知識は、街の中に分かれて存在していた。誰かが答えを持っていなくても、答えを持っていそうな人を知っている。

「自分には分からない」。そこで終わるのではない。「それなら、あの人に聞いてみよう」。そうして、次の人へつながっていく。

情報は、書類や電話だけで流れているのではなかった。誰が何を知っているのかという情報も、街の中を流れていた。

Ⅵ会社と会社の間にある仕事

工場の中の工程は、目で見ることができる。銅版をつくる。版を仕上げる。印刷する。切る。貼る。巻く。機械が動き、材料の形が変わっていく。

しかし、工場と工場をつないでいる仕事は、目に見えにくい。

次の工場へ電話をかけ、到着する時間を伝え、注意する場所を説明する。問題が起きたことを知らせ、詳しい人を紹介し、受け取れる時間を確かめ、別の方法がないか相談する。

これらの仕事は、完成した製品には残らない。完成品を見ても、誰が電話をかけたのかは分からない。誰が別の会社を紹介したのかも分からない。誰が注意点を伝えたのかも分からない。けれど、それがなければ、次の工程は始まらない。

私は、それまで工場の中にある機械ばかりを見ていた。大きな機械。新しい設備。速く動く生産ライン。けれど、製品を次へ進めていたのは、機械だけではなかった。会社と会社の間で交わされる、小さなやり取りがあった。

目に見える工程の外に、もう一つの仕事があった。一つの工場から、次の工場へ仕事を渡すための仕事だった。

Ⅶ建物の外にも、工場がある

一つの工場には、壁がある。入口がある。会社の名前が書かれた看板がある。その中に機械があり、そこで働く人がいる。私は、それを工場だと思っていた。

しかし、この街では、一つの製品が、いくつもの工場を通って完成する。工場を出たあとも、仕事は終わっていない。道路を通り、次の工場へ運ばれる。その間に連絡が入る。次の工場で準備が始まる。品物が届き、また新しい工程が加えられる。

工場の壁を越えても、仕事は続いていた。

一つの建物の中に、すべての機械が並んでいるわけではない。一つの会社が、すべての工程を担当しているわけでもない。それでも、製品は会社から会社へ渡され、少しずつ完成に近づいていく。

私は、街の中に広がる工場を見ているような気がした。建物としては、一つではない。会社としても、一つではない。けれど、一つの製品を追っていくと、別々の工場が連続して見えてくる。

工場と工場の間に道路がある。その道路を、品物が移動する。電話や会話を通じて、情報も移動する。一つの工場の出口が、次の工場の入口につながっていた。

私は、それを
「見えない工場」と考えた。

まだ、この街全体が一つの工場だと分かったわけではない。誰が、その流れを動かしているのかも分からない。ただ、建物の中だけを見ていては、仕事の姿を捉えられないことは分かった。工場と工場の間にも、仕事があった。

岸本 健志
岸本 健志
会員ビジネスLab 主任研究員 / ハートランドITイノベーション代表

1997年よりインターネット業界に従事。2007年の創業以来、EC、メディア、SaaS、コミュニティサイトなど数多くの会員ビジネスの立ち上げと成長を支援。30年近く会員システムの設計・運用に携わる中で、システムは「会員を管理するもの」から「人と人との関係を育てるもの」へ転換すべきだと考えるようになった。

本書『共同編集』は、その思索の延長線上にある。一人の経営者と一つのAIによる長期間の共同編集をケーススタディとし、共有されたコンテクストが人間の思考・創造・判断へどのような影響を与えるのかを、観察者の立場から書き進めていく。

本書は、公表されている技術仕様・公式ドキュメントと、筆者の長年の実務経験・考察をもとに構成しています。本文中の観察・解釈は筆者個人によるものであり、特定のAI・製品・企業・人物の性能や評価を保証・断定するものではありません。