私は、その街の始まりを知った。最初から巨大な産業クラスターだったわけではない。
道路も十分に整備されていない。開発計画の対象にもならないような、小さな農村から始まった物語だった。
Ⅰ一人の農民と、一台の印刷機
一人の農民が、古い手動印刷機を手に入れた。国営企業が引き受けないような、小さな仕事を請け負った。名刺。祝い袋。そんな小さな印刷物だったという。
よく働き、どこよりも早く、どこよりも安く仕上げる。その積み重ねが、一人から二人へ、二人から十人へと広がっていった。やがて、一つの街になった。
Ⅱ誰も、完成図を描かなかった
その成長は、大きな国家プロジェクトから始まったわけではない。誰かが完成図を描いたわけでもない。現場で働く人たちの判断と積み重ねが、少しずつ街を育てていった。
今では、世界中から仕事が集まり、世界の需要を支える巨大な印刷サプライチェーンの一角になっている。私は、この話を聞きながら、不思議なことを考えていた。
誰かが最初から、この街の完成図を描いていたわけではない。それでも、一つの産業は育っていった。
Ⅲその一日が、積み重なった
おそらく、その農民は、世界最大級の印刷サプライチェーンをつくろうとは思っていなかった。目の前の仕事を、誰よりも早く、誰よりも丁寧に仕上げる。
その一日が積み重なり、その一人が積み重なり、やがて街になった。私は、完成したサプライチェーンを見ていたのではなかった。
そのサプライチェーンが育ってきた時間を見ていたのだと思う。
1997年よりインターネット業界に従事。2007年の創業以来、EC、メディア、SaaS、コミュニティサイトなど数多くの会員ビジネスの立ち上げと成長を支援。30年近く会員システムの設計・運用に携わる中で、システムは「会員を管理するもの」から「人と人との関係を育てるもの」へ転換すべきだと考えるようになった。
本書『共同編集』は、その思索の延長線上にある。一人の経営者と一つのAIによる長期間の共同編集をケーススタディとし、共有されたコンテクストが人間の思考・創造・判断へどのような影響を与えるのかを、観察者の立場から書き進めていく。
本書は、公表されている技術仕様・公式ドキュメントと、筆者の長年の実務経験・考察をもとに構成しています。本文中の観察・解釈は筆者個人によるものであり、特定のAI・製品・企業・人物の性能や評価を保証・断定するものではありません。