会員ビジネスLab 未来構想ノート / 書籍プロジェクト

共同編集

知性は、一人では育たない

第一巻 第十話

街が、一つの工場になる

一つの製品が完成するまでに、いくつもの会社を通っていく。
では、この街全体を動かしているものは、何なのだろう。
私は、街を動かすシステムを探し始めた。

一つの会社だけを見ていても、この街の仕組みは分からなかった。

仕事は会社の中だけで完結していない。

材料が運ばれ、加工され、次の会社へ渡され、そこで別の工程が加えられる。

一つの製品が完成するまでに、いくつもの会社を通っていく。

では、この街全体を動かしているものは、何なのだろう。

Ⅰ工場の外へ出る

私は、いくつもの工場を見てきた。

鉄を加工する工場、表面を処理する工場、印刷に使う銅版をつくる工場。

それぞれの工場には、それぞれの技術があった。

働く人がいて、機械があり、長く積み重ねてきた経験があった。

けれど、一つの工場だけでは、製品は完成しない。

ある工場で終わった仕事は、トラックに積まれ、別の工場へ運ばれていく。そこで次の工程が始まる。

工場と工場の間には、道路があった。街の中を走るトラックがあった。電話で交わされる、短い言葉があった。

私は、工場の中だけを見ていたときには分からなかったものを、少しずつ見るようになっていた。

この街の仕事は、会社の中だけでつくられているのではない。会社と会社の間でも、つくられていた。

Ⅱ全体を動かす場所

私は、企業のDXに関わる仕事をしている。

会社の業務を聞き、情報の流れを整理し、誰が、いつ、何を判断するのかを仕組みに落とし込む。

離れた場所にいる人が、同じ情報を見られるようにする。仕事がどこまで進んでいるのかを見えるようにする。人によって異なっていた作業を整理し、システムとして動かせる形へ変えていく。

最近では、AIによって業務や判断を支えるAXにも取り組んでいる。

それは、私の得意分野だった。

だから、この街を見ながら、私はずっと考えていた。これほど多くの会社が関わる仕事を、どのような仕組みで管理しているのだろう。

どこに情報が集まり、誰が街全体を見ているのか。製品がどこまで進み、次にどの会社へ送られるのか。予定が変わったとき、誰が判断し、関係する会社へどのように伝えるのか。

どこかに、街全体を動かす仕組みがあるはずだと思っていた。

ⅢWeChatではなかった

日本では、多くの人がLINEを使っている。中国では、WeChatが広く使われている。

それなら、この街でも、WeChatが会社と会社をつなぐ仕組みになっているのではないか。私は、そのことも尋ねてみた。

けれど、聞いてみると、少し違っていた。

製品の状態を見せるために、画像や動画を送ることはある。社内のスタッフへ情報を共有することもある。

しかし、街全体の仕事が、WeChatの上で管理されているわけではなかった。関係する会社が一つのグループに入り、すべての情報を共有しているわけでもない。一つのデジタル基盤が、街全体へ仕事の指示を出しているわけでもなかった。

WeChatは使っている。けれど、WeChatが、この街を動かしているわけではなかった。

製品の状態を見せる必要があれば画像を送り、動きを見せた方が分かりやすければ動画を送る。社内で共有する必要があればWeChatを使い、言葉を交わした方が早く正確に伝わるときには、電話を使う。

そのとき伝えるべきものに合わせて、方法を選んでいた。

大切なのは、電話か、メールか、WeChatかではない。

何を伝える必要があり、相手は何を知っていて、どの方法なら早く正確に伝わるのか。

彼らは、物事を正確に伝える方法を知っていた。

デジタルを使っていないのではない。デジタルだけに答えを求めていなかった。

Ⅳ街の中に分かれていたもの

電話で交わされる言葉は、短かった。

「これから持っていく」
「先に、これをやる」
「あの会社ならできる」

それだけを聞けば、説明が足りないように思える。

けれど、その短い言葉で、仕事は動いていた。

説明が省かれているのではなかった。それまでに積み上げてきた仕事が、言葉の後ろにあった。

誰が電話をしているのか。どの製品について話し、前の工程がどこまで終わっていて、相手が何を準備すればよいのか。

すべてを一から説明しなくても、相手は理解できた。

短い言葉が通じるのは、言葉が特別だからではない。仕事を重ねてきた時間があるからだった。

一つの会社は、街全体を知っているわけではない。

自分の前にどの工程があり、自分の仕事が終わったあと、どの会社へ渡すのか。問題が起きたとき誰に相談すればよく、難しい仕事を、どの会社なら引き受けられるのか。

必要な範囲を知っている。すべてを知る必要はなかった。

予定が変われば、その場所にいる人が判断する。問題が起きれば解決できる人へ連絡し、自分の会社でできなければ、できる会社へ仕事を渡す。

全体の知識は、一人の頭の中にはなかった。一つの会社の中にもなかった。

街の中に、分かれて存在していた。

判断も、中央には集まっていなかった。

一つの会社が状況を見て判断する。その判断を受けて、次の会社も、自分の状況に合わせて判断する。

命令が流れていたのではない。判断が、仕事と一緒に流れていた。

Ⅴ産業クラスターという言葉

日本にも、特定の産業に関係する企業が、一つの地域へ集まっている場所がある。

自動車産業は、その代表的な例だろう。

完成車をつくる会社がある。その周囲に、部品をつくる会社が集まる。素材を供給する会社があり、機械や金型をつくる会社があり、物流を担う会社がある。それぞれの技術が近い場所に集まることで、新しい製品や、新しい生産方法が生まれていく。

経済学では、そのような企業の集積を「産業クラスター」と呼ぶ。

この街も、言葉の上では、その一つなのだと思う。

けれど、実際に街の中へ入ってみると、その言葉から私が想像していたものとは、どこか違っていた。

ここには、全体の中心となる一社が見えなかった。

一つの大企業を頂点として、関係する会社が順番に並んでいるのでもない。誰かが完成図を描き、必要な会社を計画的に配置したのでもない。

仕事が生まれた。その仕事を覚えた人が次の会社を始め、新しい工程が必要になり、その工程を引き受ける会社が生まれた。同じ仕事をする会社も、すぐ近くに増えていった。

その結果、狭い地域の中に、似た技術を持つ会社と、異なる技術を持つ会社が、過密なほど集まっていた。

競争は激しい。

価格を比べられ、納期を比べられ、品質を比べられる。少しでも対応が遅れれば、仕事は隣の会社へ移るかもしれない。

それでいて、一つの製品を完成させるための関係は、驚くほど緻密だった。

どの会社にどの機械があり、誰がどの加工を得意とし、どこまでなら無理を頼めるのか。問題が起きたとき、誰に連絡すれば仕事が止まらないのか。

競争相手について、競争するためだけではない知識を持っていた。

産業クラスターという言葉は、この仕組みを説明している。

けれど、その言葉だけでは、この街の空気までは伝わらない。

自然に生まれた会社が、過密な場所で仕事を取り合う。その一方で、一社では完成しない仕事を、細い関係でつないでいく。

そこにあったのは、企業が集まっているという静かな状態ではなかった。

仕事を奪い合いながら、仕事を渡し合う。

毎日の判断によって、つながり方そのものが組み直され続けている。

そこには、人が持つ圧倒的なバイタリティーがあった。

会社が生まれ、消える。そのたびに、そこで得られた技術や経験が、別の人へ渡っていく。そして、また新しい仕事が始まる。

厳しい競争の中で、それでも何かを始め続ける人たちの姿を、私は美しいと思った。

私が見た街は、経済学の言葉で整理された「産業クラスター」よりも、ずっと騒がしく、熾烈で、そして緻密だった。

Ⅵ街が覚えている

誰が、どの仕事を得意としているのか。どの会社にどの機械があり、急な依頼に応えてくれるのは誰で、難しい仕事を、最後までやり切ったのは誰か。

その知識は、一つのデータベースに集められているわけではなかった。

人が覚えていた。会社が覚えていた。これまでの仕事が、街の中に記憶として残っていた。

人が別の会社へ移れば、その人が持っていた経験も移っていく。新しい会社が生まれれば、それまでの仕事で得た知識が、別の場所で使われる。会社が入れ替わっても、技術や関係は、完全には消えない。

街は、人と仕事を通して覚えていた。

それは、書類に残された知識だけではない。

誰に頼めばよいか、どこまで任せられるか、何をすれば、関係が壊れるか。

言葉になっていない知識も、街の中に積み重なっていた。

Ⅶ私が探していたシステム

私は、この街を動かしているシステムを探していた。

すべての情報を集める場所。街全体の予定を管理する画面や、関係する会社へ指示を出す仕組み、WeChatのように、会社と会社をデジタルでつなぐ道具。

私は、自分の得意分野であるDXやAXの延長線上に、答えがあると思っていた。けれど、最後まで、そのようなものは見つからなかった。

代わりにあったのは、道路だった。
会社から会社へ製品を運ぶトラックだった。
必要なときに送られる画像や動画だった。
短い電話だった。
誰が何を知っているかという、人の記憶だった。
何度も仕事を重ねる中でつくられた関係だった。
一つの会社で終わらない判断を、次の会社へ渡す仕組みだった。

どれか一つが、街を動かしているわけではない。それぞれが、必要な場所で使われていた。

情報は、一か所には集まっていなかった。判断も、中央には集められていなかった。それでも、仕事はつながっていた。

私は、システムのない街を見ていたのではなかった。一つの会社にも、一つの画面にも、一つの道具にも収まらないシステムを見ていた。

それは、会社の中だけにあるものではなかった。会社と会社の間にあった。人と人の間にあった。

一つひとつの会社は、街全体を知らない。けれど、それぞれが、自分の前と後ろを知っている。自分の場所で判断し、その判断を次へ渡している。その連続によって、街全体が一つの工場のように動いていた。

私が探していたシステムは、最初からそこにあった。ただ、それは、私がこれまでシステムと呼んできた形をしていなかった。

私は、ようやく、この街の大きさが会社の数だけではないことに気づいた。

街全体が、一つの工場だった。
けれど、その工場には、
全体を見渡す工場長がいなかった。

それでも、仕事は動いていた。

では、分かれているはずの判断が、なぜ互いを裏切らないのだろう。

その問いの先で、私は、中国の経営者たちが繰り返し口にしていた、一人の日本人の名前を思い出すことになった。

岸本 健志
岸本 健志
会員ビジネスLab 主任研究員 / ハートランドITイノベーション代表

1997年よりインターネット業界に従事。2007年の創業以来、EC、メディア、SaaS、コミュニティサイトなど数多くの会員ビジネスの立ち上げと成長を支援。30年近く会員システムの設計・運用に携わる中で、システムは「会員を管理するもの」から「人と人との関係を育てるもの」へ転換すべきだと考えるようになった。

本書『共同編集』は、その思索の延長線上にある。一人の経営者と一つのAIによる長期間の共同編集をケーススタディとし、共有されたコンテクストが人間の思考・創造・判断へどのような影響を与えるのかを、観察者の立場から書き進めていく。

本書は、公表されている技術仕様・公式ドキュメントと、筆者の長年の実務経験・考察をもとに構成しています。本文中の観察・解釈は筆者個人によるものであり、特定のAI・製品・企業・人物の性能や評価を保証・断定するものではありません。