会員ビジネスLab 未来構想ノート / 書籍プロジェクト

共同編集

知性は、一人では育たない

第一巻 第十一話

稲盛和夫が言語化したものを、生きていた街

中国の経営者たちは、何度も一人の日本人の名前を口にした。
そのときの私は、日本から来た客に合わせた話題だと思っていた。
けれど、街を見たあと、その名前はまったく違う意味を持って戻ってきた。

誰も全体を知らない。

それなのに、なぜ判断はばらばらにならないのだろう。

街を見終えたとき、私は、中国の経営者たちが何度も口にした一人の名前を思い出した。

稲盛和夫さん。

なぜ、中国の経営者たちは、何度もその名前を口にしたのだろう。

Ⅰ最初は、気遣いだと思った

最初に稲盛和夫さんという名前を聞いたとき、私は特に驚かなかった。

「私は、稲盛先生から多くを学びました」

そう言われても、日本人の客に合わせて、日本の有名な経営者の名前を出してくれたのだろうと思った。

中国を訪れた日本人に、日本についての話をする。その程度の気遣いなのだと受け止めていた。

稲盛和夫さんという名前を知らなかったわけではない。

京セラを創業した経営者。第二電電を立ち上げ、日本航空の再建にも関わった人。日本では広く知られている。

私も、その経歴については知っていた。

けれど、その考え方を深く学んだことはなかった。数多くいる著名な経営者の一人。正直に言えば、その程度の認識だった。

だから、中国の経営者がその名前を口にしても、「中国でも知られているのですね」。そのくらいにしか思わなかった。

Ⅱ二度目、三度目

ところが、別の会社でも同じ名前が出てきた。さらに、別の経営者との会話でも聞いた。

会社の規模は違う。業種も、経営者の年齢も、置かれている立場も違う。

それなのに、会話をしていると、同じ名前が現れる。

「稲盛先生」

二度目までは、偶然だと思えた。三度目になると、少し気になった。

それでも私は、まだ日本人の客に合わせているのだろうと思っていた。

しかし、話を聞いていると、単に名前を知っているだけではなかった。

本を読み、考え方を学び、社内で勉強し、自分の経営にも取り入れようとしている。

その話し方には、来客への気遣いだけでは説明できないものがあった。

尊敬している。学んでいる。そして、自分も、そのような経営をしたいと思っている。

一人の経営者だけではなかった。

そのとき、もっと聞いておけばよかった。

Ⅲ違う響きになっていた

その名前の意味が変わったのは、街を見たあとだった。

それぞれの会社は独立し、競争しながら、一社ではできない仕事をつないでいた。

その関係を支えているものは、契約だけではなかった。仕組みだけでもなかった。そこには、人が仕事をするときの、何らかの考え方があるように思えた。

そのとき、聞き流していた名前が、もう一度浮かんできた。

稲盛和夫さん。

最初に聞いたときとは、違う響きになっていた。

Ⅳ経営手法の話だったのだろうか

稲盛和夫さんといえば、アメーバ経営が知られている。

組織を小さな単位に分け、それぞれが採算を意識しながら、自ら判断して動く。私は、その程度には理解していた。

一万社の街も、小さな会社の集まりだった。

それぞれの会社が、自分で判断していた。誰かが街全体へ命令しているわけではなかった。それでも、必要なときにはつながり、全体として大きな仕事を完成させる。

そこだけを見れば、どこか似ているようにも思えた。

しかし、この街が、アメーバ経営を採用してつくられたわけではない。

一万社が、一つの企業の組織として動いているのでもない。それぞれが別の会社であり、競争相手でもある。同じ経営手法に従っているとは限らない。

では、利他という考え方だろうか。

他者を思いやる。自分だけではなく、相手の利益も考える。競争相手へ仕事を渡す姿は、確かに利他的にも見える。

しかし、会社同士がつながるのは、善意だけではなかった。

相手を助けることが、自分の仕事にもつながる。自分一社だけではできないから、ほかの会社と組む。そこには、現実的な利益もあった。

利他だけで、すべてを説明することもできなかった。

経営手法だろうか。
思想だろうか。
人としての生き方だろうか。

どれか一つに決めようとすると、街で見たものから、少しずつ離れていくように感じた。

Ⅴ街は、すでに生きていた

私は最初、稲盛和夫さんの思想が、中国の経営者たちに新しい考え方を与えたのだと思っていた。

日本で生まれた経営思想が海を渡り、中国の経営者たちに受け入れられた。そのような話なのだと考えていた。

けれど、街を見たあとでは、少し違って見えた。

この街の会社は、稲盛和夫さんの本を読む前から、仕事をしていた。

会社から会社へ仕事を渡していた。自分にできないことを、できる人へ任せていた。予定が変われば、相手の状況を見ながら、自分の判断を変えていた。競争相手であっても、必要なときには協力していた。

もちろん、すべての会社が理想どおりに動いていたわけではないだろう。

約束が守られないこともある。仕事を取られることも、関係が壊れることもある。自分の利益だけを考える人もいる。

例えば、価格を下げるために、定められた寸法にわずかに届かない製品を納める会社があるという。

一度であれば、製造上の誤差や間違いかもしれない。けれど、それが二度続けば、偶然とは受け取られない。

この街には多くの会社がある。しかし、すべての会社が、同じようにつながっているわけではない。

扱う素材や工程、持っている機械、得意とする加工によって、会社同士にはいくつものまとまりがある。日頃から仕事を渡し合い、同じ取引先や協力会社と関わる会社の間では、情報が早く伝わる。

「あの会社には、頼まない方がよい」

誰かが街全体へ通達を出すわけではない。けれど、同じ仕事に関わる会社の間で信頼を失えば、次の仕事は少しずつ来なくなる。

仕事を任せられる人が残る。約束を守る会社に次の仕事が来て、困ったときに動く人へ、別の仕事が返ってくる。反対に、相手を裏切り続ける会社からは、人も仕事も離れていく。

街は、一つの大きな集団としてすべてを覚えているのではない。

いくつもの仕事のまとまりが、それぞれの中で、人と会社を覚えていた。

誰かが最初に規則を決めたのではない。

街は、仕事を続けるために必要な基準を、長い歴史の中で自生的に育てていた。

人として、何が正しいのか。経営者は何を基準に判断し、利益と相手との関係をどのように考え、自分の会社だけでは完成しない仕事に、どう向き合うのか。

その問いを、この街の経営者たちは、本を読む前から、毎日の仕事の中で生きていたのではないか。

Ⅵ黒子の世界で、成功した人

ただ、稲盛和夫さんが、街の生きていたものを言葉にしたというだけでは、中国の経営者たちが、これほどまでにその言葉を受け入れた理由を説明しきれない。

優れた言葉を残した人は、ほかにもいる。

人として正しく生きること。相手を思いやり、目先の利益だけを追わないこと。

似た考え方は、昔から語られてきた。

それでも、中国の経営者たちは、何度も稲盛和夫さんの名前を口にした。

なぜ、稲盛和夫さんだったのだろう。

考えてみれば、稲盛和夫さんは、経営について言葉を残した人である前に、自ら会社をつくり、世界的な企業へ育てた経営者だった。

しかも、その出発点は、一般の消費者から見えやすい世界ではなかった。

京セラがつくってきたのは、電子機器や産業を、内側から支える部品や素材だった。

完成品になれば、その名前が見えなくなることもある。それでも、その部品がなければ、製品は動かない。

表には出にくい。けれど、世界中の産業を内側から支えている。

それは、私が中国で見てきた会社の姿と重なっていた。

材料をつくり、部品をつくり、加工を引き受け、別の会社の製品を、見えない場所から支える。

仕事は世界へ届いていても、自分たちの名前が世界中の消費者に知られるとは限らない。

稲盛和夫さんは、その黒子の世界から出発し、世界的な企業をつくった。

だから、その言葉には、理念だけではない重さがあったのではないか。

人として何が正しいのか。人へ判断を任せながら、どうすれば一つの会社として動けるのか。表には名前が出ない仕事をする人が、自分の仕事にどのような意味を持てるのか。

それらは、経営の外から語られた言葉ではなかった。同じ難しさを生き、その中で結果を残した人の言葉だった。

中国の経営者たちは、自分たちとよく似た世界から出発し、その先に何があり得るのかを、実際の経営によって示した人を見ていたのかもしれない。

Ⅶ言葉が、後から来た

そう考えると、なぜ稲盛和夫さんだったのかが、少し見えてきた。

稲盛和夫さんが、中国の街へ思想を持ち込み、その街を変えたのではない。街は、すでに、その問題を生きていた。

誰も全体を知らない中で、何を基準に判断するのか。自分の利益と相手の利益をどのように両立させ、別々の会社や人間が、どのように一つの仕事を完成させるのか。

その問いに、街は、言葉ではなく、日々の実践によって答えていた。

一方、稲盛和夫さんも、一人の経営者として、同じ問いに向き合っていた。

会社をつくり、人を雇い、判断を任せる。組織が大きくなり、自分の目が届かない場所で、多くの人が判断する。

そのとき、何を基準にするのか。どのような考え方を共有すれば、別々の人間の判断が、一つの会社としてつながるのか。

稲盛和夫さんは、自分の経営の中で経験したことを、言葉にしていった。

街が歴史の中で実践してきたことを、稲盛和夫さんは、一人の経営者として言語化していた。

だから、中国の経営者たちは、その言葉を、自分たちから遠い外国の思想として読んだのではなかったのかもしれない。

自分たちが毎日の仕事の中で感じていたこと。けれど、まだうまく説明できなかったこと。会社を続けるために必要だと分かっていながら、名前を付けられなかったもの。

それを、稲盛和夫さんの言葉の中に見つけた。

実践が先にあった。言葉は、後から海を渡ってきた。

Ⅷ輸入したのは、思想だったのだろうか

私は、日本の経営思想が、中国へ輸入されたのだと思っていた。

けれど、本当に輸入されたのは、思想そのものだったのだろうか。

中国の経営者たちは、それまで持っていなかった考え方を、日本から受け取ったのだろうか。それとも、自分たちがすでに生きていたものを説明する言葉を、稲盛和夫さんの中に見つけたのだろうか。

考え方がなかったのではない。言葉がなかった。

日々の仕事の中では分かっている。

あの会社とは仕事を続けられる。この判断はしてはいけない。目先の利益だけを追えば関係が壊れ、人に任せるには、共通する基準が必要になる。

けれど、それを一つの考えとして、ほかの人へ伝えることは難しい。

経験は、一つひとつの出来事として残る。

あのとき、助けてもらった。あの会社は約束を守った。あの判断で取引先を失い、あの人へ任せたことで、仕事が前へ進んだ。

しかし、出来事だけでは、次の人へ渡しにくい。

言葉になることで、初めて、自分の経験を振り返ることができる。

「あのとき、自分が大切にしていたのは、このことだったのか」

そう気づくことができる。

言葉は、実践の代わりにはならない。けれど、実践の中にあったものを見えるようにする。

中国の経営者たちは、稲盛和夫さんの言葉を通して、すでに自分たちの中にあったものを、見つけ直していたのではないか。

Ⅸ言葉が必要になる時間

もちろん、これは私の仮説である。

この街の仕組みが、稲盛和夫さんの思想によってつくられたと言うことはできない。

一人の農民と、一台の印刷機から始まった街は、市場や政策、技術、人の移動など、多くの条件によって育ってきた。

中国の経営者たちが、全員同じ考え方で会社を動かしているわけでもない。稲盛和夫さんの本を読んだ人が、皆、その言葉どおりに経営しているとも限らない。

それでも、無関係とは思えなかった。

一つの言葉が、遠い国で読まれる。その理由は、その言葉が優れているからだけではないのかもしれない。

その言葉を必要とする経験を、読む側もまた、すでに持っている。

判断を人へ任せる難しさ。会社が大きくなる中で基準を共有する難しさ、利益を求めながら関係を壊さずに仕事を続ける難しさ、一人では完成できない仕事を、多くの人とつなぐ難しさ。

中国の経営者たちは、その時間を、すでに生きていた。

だから、稲盛和夫さんの言葉が届いたのではないか。

人が先に、その言葉を必要とする時間を生きていた。そして、後から届いた言葉の中に、自分たちの経験を見つけた。

Ⅹ同じ名前の後ろにあったもの

中国の経営者たちが、何度も同じ名前を口にした理由。

それは、稲盛和夫さんが日本人だったからではなかった。日本企業をまねたいからでもなかった。

一人の経営者が、自分たちも向き合っている問いを、言葉にしていたからではないか。

人は、何を基準に判断するのか。会社は何のためにあるのか。利益と、人として正しくあることをどう考え、別々の人間が、どうすれば一つの仕事を完成させられるのか。

街は、その問いを、長い仕事の中で生きていた。稲盛和夫さんは、その問いを、自分の経営の中で考え、言葉にしていた。

街の実践と、一人の経営者の言葉。二つは、同じ場所から生まれたものではない。同じ歴史を持っているわけでもない。それでも、別々の場所で、同じ問いの前に立っていた。

だから、言葉が届いた。だから、同じ名前が、何度も語られた。

そう考えたとき、私は、稲盛和夫さんの本を読んでみたいと思った。書かれている言葉を知りたいと思った。

けれど同時に、その言葉が生まれるまでに、稲盛和夫さん自身が、どれほどの時間を生きたのかも気になった。

どのような判断をしたのだろう。
どのような失敗をしたのだろう。
誰と衝突し、誰に助けられたのだろう。
どれほど迷い、考え、人と話したのだろう。

本に残るのは、最後に選ばれた言葉である。
その言葉にたどり着くまでの時間は、ほとんど書かれていない。

そして、言葉を受け取った中国の経営者たちにも、その言葉が必要になるまでの、書かれていない時間があった。

私は、言葉そのものだけではなく、

言葉を生んだ時間と、
その言葉を必要とした時間を、

考えるようになった。

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岸本 健志
岸本 健志
会員ビジネスLab 主任研究員 / ハートランドITイノベーション代表

1997年よりインターネット業界に従事。2007年の創業以来、EC、メディア、SaaS、コミュニティサイトなど数多くの会員ビジネスの立ち上げと成長を支援。30年近く会員システムの設計・運用に携わる中で、システムは「会員を管理するもの」から「人と人との関係を育てるもの」へ転換すべきだと考えるようになった。

本書『共同編集』は、その思索の延長線上にある。一人の経営者と一つのAIによる長期間の共同編集をケーススタディとし、共有されたコンテクストが人間の思考・創造・判断へどのような影響を与えるのかを、観察者の立場から書き進めていく。

本書は、公表されている技術仕様・公式ドキュメントと、筆者の長年の実務経験・考察をもとに構成しています。本文中の観察・解釈は筆者個人によるものであり、特定のAI・製品・企業・人物の性能や評価を保証・断定するものではありません。