「かご落ち率70%」――いまやEC業界では、ほとんど疑う余地のない「常識」のように語られています。けれど前回も書いたように、私がこの問題を現場で初めて聞いたとき、「70%」という数字は、まだどこにもありませんでした。では、いつからこの数字は業界の常識になったのか。今回は、その出どころを追います。
「70%」という数字の誕生
前回、私は2000年代半ばから後半にかけて、大手通販会社のネット事業責任者から聞いた「カート途中離脱を減らしたい」という話を書きました。
当時、私が聞いたのは「カート途中離脱」という課題そのものであり、「かご落ち率70%」という具体的な数値ではありませんでした。
では、いつから「かご落ち率70%」という数字が業界の常識になったのでしょうか。今回は、その出どころを追ってみたいと思います。
いつの間にか常識になっていた「70%」
気が付くと、以下のようなあらゆる関連サービスの提案資料やWebサイトで、「かご落ち率は約70%です」という説明を見かけるようになっていました。
- ECコンサル会社
- Web制作会社
- MAツール
- カゴ落ちメールツール
- CRMツール
- 決済サービス
不思議なのは、この数字がほとんど疑われなかったことです。業界関係者の多くは、「そういうものらしい」と思っていました。私自身も長い間、その一人でした。
しかし、改めて考えると不思議です。ECの業態は多岐にわたります。
扱う商材もターゲットも違うのに、同じ70%になるはずがありません。それなのに、「70%」という数字だけが独り歩きしていました。
調べてみると、出どころは意外に明確だった
結論から言うと、現在もっとも引用されている出典は 「Baymard Institute(バイマード・インスティテュート)」です。
デンマーク発のUXリサーチ機関で、ECサイトのユーザビリティ調査を継続的に行っています。同社は長年にわたり、世界中の複数のEC調査(カート放棄率に関する統計)を集計・メタ分析し、「平均カート放棄率は約70%」という数字を公表してきました。
つまり、70%という数字は完全な作り話ではありません。実際に世界の調査データを積み上げたことによって生まれた、一定の根拠がある数字だったのです。
「70%」はいつ、どうやって常識になったのか ― 数字が安定するまで
では、バラバラだった数字が、どのようにして「約70%」という一つの常識へ収束していったのでしょうか。時系列で追うと、その過程が見えてきます。
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2000年代後半
まだ「数字がバラバラ」だった時代
私が2000年代半ば〜後半にネット事業責任者から「カート途中離脱を減らしたい」という話を聞いていた当時、実は「かご落ち率」の明確な基準はありませんでした。調査機関によって「40%」というところもあれば「80%」というところもあり、業界共通の常識はまだ存在していなかったのです。
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2011年
Baymard Institute による「メタ分析」の開始
ここに目をつけたのがデンマークの Baymard Institute でした。彼らは2011年頃から、世界中の信頼できる調査機関(Forrester、ComScore、Fireclick など)がバラバラに発表していたカート放棄率のデータを一箇所に集め、その「平均値(メタ分析)」を算出する試みを始めました。
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2013年
平均値が「ほぼ70%」で安定し、世界へ拡散
2013年頃になると、集計されたデータソースが30近くに増え、その平均値が「約68%〜69%」のレンジでピタッと安定するようになります。
これを見た世界中のテックメディアやマーケターたちが、「ECのカート離脱率は、世界平均で約70%である」とキリのいい数字で紹介し始めました。これが「70%」という常識が誕生した決定的な瞬間です。
当時集められた「個別データ」は、ここまでバラバラだった
Baymard Institute がメタ分析(平均値の算出)のために集めた、当時の著名な調査機関や大企業の個別データを見ると、数字は次のように全くバラバラでした。
低い数字を出していた機関(40〜50%台)
- SeeWhy2011年発表47.0%
- User Interface Engineering2006年発表52.0%
高い数字を出していた機関(70〜80%台)
- MarketingSherpa2011年発表75.0%
- Vuture Group2010年発表81.0%
このように、調査する会社やその対象(大企業向けECなのか、特定の業界なのか)によって、40%台から80%台まで見事にバラバラでした。
しかし、それは「何を意味する数字」だったのか?
ここで重要な問題があります。Baymardが示しているのは、「カートに商品を入れた人のうち、購入完了に至らなかった割合」です。つまり、この中には次のような動機を持つ人もすべて含まれています。
「離脱」に含まれる、買う気のない行動
日本で起きた、意味のすり替え
【深掘り】Baymard Institute のデータが本当に示していること
「70%が離脱している」という数字だけを見ると、まるでECサイトの致命的な欠陥のせいで大損しているように見えます。しかし、Baymard Institute のレポートを詳細に読み解くと、全く異なる実態が見えてきます。
1. そもそも58.6%は「ただのブラウジング」
同社の調査によると、カート放棄したユーザーの実に 58.6% が、以下のような理由を挙げています。
- 「ただサイトを見ていただけ」
- 「買う気はなかった(お気に入り・備忘録代わり)」
- 「他社との価格比較のためにとりあえず入れた」
つまり、70%の大部分は「最初から買う気が薄い、またはまだ買うタイミングではないユーザー」であり、サイトの購入手続き(チェックアウト)をいくら改善しても、この層を無理やり購入に導くことは不可能です。
2. 「購入手続き中の不満」による離脱のリアルな内訳
では、「ただ見ていただけ」の層を除外した、残りの「本当に買う気があって手続きに進んだのに、途中で嫌になってやめた人(純粋なカゴ落ち)」の離脱理由は何でしょうか。Baymard Institute が発表している最新の統計を見ると、驚くべき結果が並んでいます。彼らが挙げた主な理由は以下の通りです。
| 順位 | 離脱の直接的な理由 | 割合 |
|---|---|---|
| 1位 | 追加費用が高すぎる(送料、税金、手数料など) | 48% |
| 2位 | アカウント作成(会員登録)を強制された | 26% |
| 3位 | 配送が遅すぎる | 23% |
| 4位 | チェックアウトの手続きが長すぎる・複雑すぎる | 22% |
| 5位 | サイトのセキュリティ(クレカ情報入力)に不安を感じた | 18% |
| 6位 | 最終的な合計金額が事前に分かりにくかった | 16% |
| 7位 | 希望する決済手段がなかった | 13% |
※複数回答のデータであるため、合計は100%を超えます。
3. 「今すぐ救える売上」は一体どれくらいなのか?
同社はこの膨大なデータをもとに、非常に面白い試算をしています。「追加費用(送料)の明示」や「ゲスト購入(会員登録なし)の許可」「フォーム入力の簡略化」など、サイトのUX・デザイン改善によって救えるはずのカート放棄(カゴ落ち)は、全体の 約35.26% にのぼる、というものです。
彼らが言いたいのは「70%全部が失われている」ではなく、「70%の中の約35%(=全体の約24.6%)は、サイト側の努力不足でユーザーを怒らせて逃している『もったいない損失』である」ということです。
本記事で紹介した「カゴ落ちの理由」「58.6%はただのブラウジング」「35.26%の改善余地」の統計データは、いずれも下記の公式ページに基づいています。
Baymard Institute ―「49 Cart Abandonment Rate Statistics 2026(49のカート放棄率に関する統計 2026年版)」
そして、この数字は10年以上「動いていない」
実は、Baymard Institute が2013年に「約68%」として発表してから2026年現在の最新データに至るまで、この数字は10年以上「ほぼ70%(69.something%)」のまま変わっていません。
スマホが普及し、決済が便利になり、Amazon PayやApple Payが登場して、どれだけECが進化しても、この「70%」という数字は動かない。
人間が「とりあえずカートに入れて悩む」という行動特性(約58%のブラウジング層)を持っている以上、この数字は本質的に動きようがないのです。技術(サイト改善)で変えられるのは、残りの「本当に買う気があったのに逃した領域(欧米の試算では全体の約24.6%)」の部分だけ。それこそが、本来向き合うべき領域なのです。
――ただし、これはあくまで「海外の環境」を前提とした話であれば、ですが。
なぜ「70%」はここまで広まったのか ― 数字のひとりあるき
なぜ70%はこれほどまでに広まったのでしょうか。私は、「数字だから」だと思います。
例えば、「多くの人が離脱しています」と言われても、あまり印象に残りません。しかし、「70%が離脱しています」と言われると強烈です。
しかも「70%」は覚えやすく、営業資料にも使いやすい。セミナーでも話しやすく、記事の見出しにもなる。
面白いのはここからです。最初は一つの「調査結果」だったものが、次の流れをたどる中で、いつしか数字だけが残っていきます。
- 調査結果
- 業界記事
- セミナー資料
- 営業資料
- 業界常識
すると、「誰がいつ、どういう条件で調査したのか」という前提よりも、「70%らしい」という結論が先に広がります。私はこれを、「数字のひとりあるき」と呼んでいます。
日本に上陸し、「都市伝説」化するまでのタイムラグ
そしてこの数字は、海を渡って日本に届くまでに、さらに数年のタイムラグがありました。その間に、出典の文脈は少しずつ削ぎ落とされていきます。
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2013年・海外
海外で「かご落ち率70%」が常識になる
海外のEC・マーケティング業界で、「かご落ち率は約70%」がほぼ共通認識として定着します。
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2015〜2017年頃・日本
数年遅れで、日本の営業資料に使われ始める
数年のタイムラグを経て、日本のMAツールベンダー、カゴ落ちメールツール会社、決済代行会社などが、この海外のデータを翻訳して営業資料に使い始めます。
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2020年代・現在
文脈が消え、「都市伝説」へ昇華する
出典の文脈(※約58%はただのブラウジングであること等)は完全に無視され、「日本国内でも、70%の売上が今すぐ対策すべき損失として眠っている」という、都合の良い都市伝説へと昇華しました。
70%は嘘だったのか
そうではありません。私は「70%は嘘だった」と言いたいわけではないのです。むしろ逆です。出典もあり、調査もあり、一定の根拠もあります。
問題は、「その数字が何を意味するのか」。数字そのものよりも、その「解釈」や「使われ方」を、私たちは注視しなければならない。
そもそも、その70%は「日本の数字」なのか?
もう一つ、見落とされがちな視点があります。それは、そのデータは「海外の数字」だったということです。海外(欧米)と日本国内のEC環境には決定的な違いがあり、「70%」をそのまま日本に当てはめることには大きな無理があります。
日本国内の固有の事情を考慮すると、主に「決済習慣」「配送のクオリティ」「ポイント文化」の3つの面で、海外データとは明らかに異なる動きが見受けられます。
クレジットカード、PayPal、Apple Pay、または BNPL(後払いサービス)が主流です。
クレジットカードに加え、「コンビニ決済」や「代金引換(代引)」が根強いシェアを持っています。
海外ではクレカ情報の入力(セキュリティへの不安や手間)が原因でカゴ落ちするケースが多発します。一方、日本は「コンビニ払い」や「代引」という「今すぐクレカ情報を入力しなくていい選択肢」があるため、決済画面での心理的ハードルが海外ほど高くならず、離脱率が低く抑えられる傾向があります。
国土が広いため、「届くまでに1週間」「送料が高い」「日時指定が守られない」が日常茶飯事。Baymardのデータでも「送料の高さ(48%)」「配送の遅さ(23%)」が離脱のトップ理由です。
「翌日・翌々日に届く」「時間指定が正確」が当たり前。多くのサイトが「〇〇円以上で送料無料」を標準化しています。
日本では「配送が遅いからやめる」という離脱はほとんど起きません。ただし、日本のユーザーは「送料無料の壁(あと数百円で無料)」を越えるために、一時的に商品をカートに入れてキープする(ブラウジング行動)という、海外とは違った形でのカート滞留がよく見られます。
クーポンコード(Promo Code)の文化はありますが、日本ほど複雑な共通ポイントはありません。
楽天ポイント、dポイント、PayPayポイント、Vポイントなど、強力なポイント経済圏が乱立しています。
日本のユーザーは「カゴ落ちメールでクーポンが届くのを待つ」ため、あるいは「お買い物マラソンやポイント5倍デーの日が来るまでカートに入れたまま寝かせておく」ために、あえて購入手続きを完了させないケースが非常に多いです。これは海外の「不満による離脱」とは異なり、「最もお得なタイミングで買うための戦略的カゴ落ち」という日本特有の現象です。
もう一つの脅し文句 ―「会員登録の強制で26%が離脱する」の落とし穴
海外の「ゲスト購入が標準」という文化の中で生まれた「26%離脱」という脅し文句。しかし、楽天経済圏などで「まずログインしてから買う」というお作法に骨まで浸かっている日本の消費者にとって、会員登録のハードルは海外ほど高くはない。
ここでも、前提条件の違う海外の数字が、日本のECを脅すために「ひとりあるき」しています。なぜ海外では「ゲスト購入」が絶対正義で、日本では「最初に会員登録」が受け入れられてきたのか。両者のファクトを並べてみましょう。
1. 海外(欧米)のファクト ― なぜ「ゲスト購入」が絶対正義なのか
欧米、特にアメリカのECサイトにおいて「ゲスト購入(Guest Checkout)」がないサイトは、それだけで致命的(欠陥サイト)とみなされます。
- 大手プラットフォームの標準思想:世界最大のECプラットフォームであるShopify(カナダ発)やMagentoなどの海外製システムでは、最初から「ゲスト購入」の動線がデフォルト、もしくは非常に目立つ位置にデザインされています。
- プライバシーに対する強烈な警戒感:欧米のユーザーは「たまにしか使わない個別サイトに、自分の個人情報やパスワードを保持されたくない(データ漏洩リスクを避けたい)」という意識が日本以上に強いです。「配送に必要な情報だけ渡すから、アカウントは作るな」という心理が根底にあるため、強制会員登録は文字通り「最悪のUX」として嫌われます。
① 法制度(GDPR)の厳格さと人々の意識
ヨーロッパにはGDPR(一般データ保護規則)という、世界で最も厳しい個人情報保護の法律があります。企業が個人データを漏洩させた場合、最大で「世界年間売上の4%」という天文学的な罰金が科されます。この法律が日常に浸透しているため、欧米の消費者は「自分のデータを企業に預けること自体がリスクである」という意識が非常に高く、「ただ買い物をするだけなのに、なぜ必要以上にアカウント情報(パスワードなど)を預けなければいけないんだ」という警戒心が、日本のユーザーよりも格段に強く働きます。
② クレジットカード詐欺・データ漏洩の圧倒的な多さ
欧米(特にアメリカ)は、日本とは比較にならないほどカード不正利用やサイバー攻撃、企業のデータ漏洩事件が多発しています。「大手だから安心」という感覚が通用しない社会であるため、ユーザーは「初めて使う、あるいはたまにしか使わない個別ECサイトにパスワードや情報を残すのは危険だ」と本能的に判断します。だからこそ、情報を保持させない「ゲスト購入」が絶対条件になるのです。
2. 日本国内のファクト ― なぜ「最初に会員登録」が受け入れられてきたのか
対して日本のEC市場は、ガラパゴス的とも言える独自の発展を遂げており、ユーザー側にも「諦めを伴う慣れ」が存在します。
- 「楽天市場」が作った日本のECのDNA:日本のECの黎明期を支え、国民的インフラとなった「楽天市場」や「Yahoo!ショッピング」は、基本的に「ログイン(会員登録)してから買い物をする」のが大前提の構造でした。日本の消費者は2000年代以降、これらの巨大モールで買い物の仕方を学んだため、「ネット通販=まずログインするか、最初にアカウントを作るもの」という強固なメンタルモデル(先入観)が刷り込まれています。
- 自社EC(本店)カートの歴史的設計:日本で大きなシェアを持つ「FutureShop(フューチャーショップ)」や「MakeShop」「ショップサーブ」といった日本の老舗ASP・カートシステムも、歴史的に「会員登録をして購入手続きへ進む」というステップが標準(デフォルト)でした。日本の事業者側も「メルマガを送りたい」「リピートさせたい」という意図が強いため、あえてゲスト購入を隠したり、用意しなかったりする設計が長年“普通”とされてきたのです。
結論 ― その「70%」は、はじめからあなたの数字ではなかった
デンマークの調査機関が、主に欧米のデータを元に算出した「70%」。決済習慣も、配送クオリティも、ポイント文化も全く異なるここ日本において、その数字をそのまま自社の基準にして一喜一憂すること自体が、ナンセンスだったのです。
にもかかわらず、なぜこの数字は日本のEC業界でこれほどまでに定着し、生き残ってきたのか?
次回、その「営業資料としての生存戦略」に迫ります――
よくあるご質問(FAQ)
必ずしも当てはまりません。出典であるBaymard Instituteのデータは、主に欧米圏を中心としたグローバルな調査の平均値です。
日本国内においては、決済手段(代引きやコンビニ払いの普及度)や配送の手軽さ、また業種(食品・コスメ・アパレルなど)によって、実際の数値は50%〜80%以上と大きく変動します。
主な理由として、「送料や手数料などの追加費用が想定より高かった」「アカウント作成(会員登録)が必須だった」「希望する決済手段がなかった」などが挙げられます。
また、「純粋な価格比較」や「備忘録(お気に入り代わり)」として一時的にカートに入れているだけのケースも多く存在します。
Googleアナリティクス(GA4)などのアクセス解析ツールを用いて、「カート投入」から「注文完了」までの各決済ステップの遷移率(ファンネル)を可視化することが第一歩です。
どこで最も多くのユーザーが離脱しているかを特定し、入力フォームの簡略化やカゴ落ちメールの導入、決済手段の拡充などの対策を行います。
では、その70%という数字は、現在どう使われているのだろうか。EC業界では今でも、「かご落ち率70%」が語られています。
しかし、それは客観的な「調査結果」なのか。それとも都合よく使われる「営業資料」なのか。
次回・第3回「『70%』はなぜ生き残ったのか ― 数字は事実か、営業資料か」で、ひとり歩きした数字が消えずに残った、その「生存戦略」を追います。


