前回、私は「かご落ち率70%」の出どころを追いました。調べてみると、その数字にはデンマークのUXリサーチ機関「Baymard Institute」による長年の調査・メタ分析という明確な出典があり、完全な作り話ではありませんでした。また、歴史的な経緯や海外と国内の違いにも言及しました。けれど、もう一つ気になることがあります。なぜその数字は、これほど長く業界に生き残っているのでしょうか。
1. 数字はなぜ一人歩きするのか
前回、私は「かご落ち率70%」の出どころを追いました。調べてみると、その数字には明確な出典がありました。デンマークのUXリサーチ機関「Baymard Institute」による長年の調査・メタ分析です。
つまり、「70%」は根拠のない完全な作り話(都市伝説)ではありませんでした。少なくとも客観的な調査としては実在していたのです。
しかし、もう一つ気になることがあります。なぜその数字は、これほど長く業界に生き残っているのでしょうか。
2. いまなお現役で語られ続ける「70%」
EC業界を取り巻く環境は、この20年で劇的に変わりました。
- スマートフォンの登場と爆発的普及
- Amazonや巨大モールのさらなる拡大
- SNS経由の購買の一般化
- ID決済など決済手段の多様化
これほど変化が激しい業界であるにもかかわらず、ECコンサル会社、CRMベンダー、MAツール、カゴ落ちメールツール、決済サービスの資料を開くと、いまだに現役で「カート放棄率は約70%」という表現を見かけます。これは少し不思議なことです。
実際に検索してみて分かったこと
本当に「70%」は今でも生き残っているのか、実際にGoogleで「かご落ち率70%」「カート放棄率70%」などのキーワードで検索してみました。
すると現在でも、多くのベンダー記事がヒットします。もちろん、最近の記事は以前より丁寧になり、「Baymard Instituteによると」という出典が添えられていることも多くなりました。しかし興味深いのは、数字そのものは2013年頃から全くアップデートされずに使われ続けている点です。
検索上位に並ぶ「2025年最新」「2026年最新」と銘打たれた記事の多くは、実は何年も前に書かれた記事の「日付とタイトルだけを書き換えた(リライトした)」ものです。
ツールベンダーやECコンサル会社は、一度SEOで上位表示に成功した記事(アクセスを集めている記事)の順位を落としたくないため、中身の統計データ(Baymardの70%)はそのままに、タイトルだけを「今年版」に更新し続けます。
これが、変化の激しいEC業界において、「70%」という数字だけがまるでタイムカプセルのように無傷で生き残り続ける、検索構造上のリアルな生存戦略でもあるのです。
3. 実は「70%」ではない記事が教えてくれること
もっとも、すべての記事が70%という数字を盲信しているわけではありません。細かく調べていくと、「40%」「50%」「60%」といった異なる調査結果を引用している良質な記事も見つかります。
業種や商材、調査方法によって結果が変わるため、本来は数字がバラつくことの方が自然であり、正常です。
しかし、ここで注目すべきは、数字が違っていても「購入途中で多くの顧客が離脱している」というストーリー(結論)はどこの記事でも全く変わらないということです。
業界(ベンダー側)が本当に広めたかったのは「70%」という数字そのものではなく、「ここに、あなたの知らない莫大な改善余地(=自社ツールが必要な理由)があります」というメッセージだったのかもしれません。
そして、そのメッセージを伝えるために、最も分かりやすく、最もインパクトがあった数字が「70%」だったのです。
4. 数字は「売るため」に便利である
理由は単純です。数字は非常に便利だからです。
- 「購入途中で離脱する人が多いですよ」 ➔ 印象に残らない
- 「70%の人が離脱していますよ」 ➔ 強烈な危機感を覚える
数字には強烈な説得力があります。客観性があるように見え、議論を終わらせる力を持っています。だからこそ、人は数字を好みます。
「!?」や「?」が添えられる心理的効果
ネットの記事や営業資料の見出しをよく観察してみると、単に「70%」と書くだけでなく、以下のような表現が使われていることに気づきます。
- 「あなたのECサイト、実は70%もかご落ちしている!?」
- 「カート放棄率70%の真実? 対策しなければ売上は大損?」
数字の後ろに「!?」や「?」を添える。これらは一見、客観的なデータを補足しているだけのように見えて、実は「読み手の不安や驚きを極限まで煽るための心理的演出」です。
「本当に!?」と驚かせ、「うちのサイトも危ないのでは?」と疑問を抱かせる。こうして数字に感情のマーク(記号)が乗っかることで、数字の持つインパクトはさらに何倍にも膨れ上がります。
「70%」が生き残るための理想的な条件
考えてみれば、この数字には業界の共通言語(あるいは営業ツール)として理想的な条件がすべてそろっていました。
- インパクトがある(7割という圧倒的な多数)
- 「!?」で感情を揺さぶりやすい
- 覚えやすい(キリがいい)
- 問題提起しやすい
- 営業資料やセミナーで説明しやすい
こうして、「調査結果」として生まれたはずの純粋な数字が、記号によって化粧され、文脈を剥ぎ取られながら業界の「共通言語」へと変わっていった。これこそが、私が追いかけている「数字のひとりあるき」の本質です。
5. 調査結果はこうして「営業資料」になる
誤解してほしくないのは、営業資料で数字を使うこと自体は悪いことではない、という点です。ビジネスにおいて数値をベースに提案するのは当然の行為です。
問題は、その過程で「数字の意味(文脈)」が変わってしまうことにあります。
- 調査結果の事実:「カート投入者のうち、購入完了しなかった割合(※その約6割はただのブラウジング)」
- 営業資料でのすり替え:「カートに入れたのに、システムやフォームが原因で失われている売上」
- ベンダーの結論:「だから、当社のカゴ落ち対策サービスが必要です」
数字自体は嘘をついていません。しかし、その意味は180度変わっているのです。
6. 70%は「誰のための数字」だったのか
ここで私は、第1回で聞いた大手通販会社の担当者の話を思い返します。当時、彼らが言っていた「カート途中離脱を減らしたい」という言葉に数字はありませんでした。彼らにとって数字は、あくまで目の前の「現場改善」のためのものだったからです。
しかし、数字が業界全体へ広がるにつれ、それは現場のための「改善の数字」から、ベンダーがプロダクトを「売るための数字」へと役割を変えていきました。
私が感じる「本当の都市伝説」
振り返ってみると、都市伝説だったのは「70%」という数字そのものではなかったのかもしれません。
むしろ、「数字というデータがあるから、この提案は正しいのだ」と思い込んでしまう、私たち受け手側の盲信こそが、本当の都市伝説だったように思うのです。
数字は事実の一部を示します。しかし、数字だけでは真実までは分かりません。その数字が何を測り、何を意味し、精度高く「誰が、何の目的で使っているのか」。そこまで見抜いて初めて、数字は本当の意味を持ちます。
よくあるご質問(FAQ)
非常に危険です。コラムの通り、多くの営業資料の数字は「購入意欲のないブラウジング層(約58%)」まで損失として計算しているケースが多いため、それをベースにツール導入のROI(投資対効果)を試算すると、実際のシミュレーションと大きく乖離する原因になります。
必ず自社のGA4等で計測した実数値を基準にしてください。
「カートに商品を入れただけ」のユーザーではなく、「配送先住所の入力」や「決済方法の選択」まで進んだにもかかわらず離脱したユーザーの割合(チェックアウト離脱率)に注目してください。
ここでの離脱こそが、サイトのUIや仕様に不満を持って離脱した「本当に救うべきユーザー」です。
実は、この「数字のひとりあるき」の現象は、EC業界だけにとどまりません。サブスクリプション(継続課金)業界にも、今まさにこれとよく似た「都合のいい数字」が生まれ、ひとり歩きを始めています。
最近、あらゆるピッチやセミナーで見かけるのが、「カード決済失敗による解約」というキーワードです。
本当にカード決済の失敗は、サブスク解約の重大な主因なのでしょうか。次回・第4回「カード決済失敗は本当に解約の主因なのか ― サブスク業界の新しい『70%』」で、新たに生まれた数字のひとり歩きを追います。


